Kokushikan Magazines Feature

アスリートの叫び~トライアスロン部・駅伝部・水泳部~

3種目を制するタフネスの源泉に迫る!浅沼選手が語るトライアスロンの魅力と挑戦

体育学部体育学科3年 浅沼一那

スイム・バイク・ランの3種目をこなす過酷なスポーツ「トライアスロン」。その頂点を目指し、日々自身の限界に挑み続けるアスリートがいます。3つの部活動を掛け持ちし、東京ヴェルディトライアスロンチームの一員としても活躍する浅沼選手。
今回は、トライアスロンの魅力、大学での挑戦、そして過酷な練習を支える原動力について深く伺いました。

アスリートの叫びとは…

本学には学業とスポーツに打ち込み夢を追い続けるアスリートたちがいます。そのアスリートたちの「叫ばずにいられない」本音や裏側などをインタビュー形式でお届けします。

プロフィール

浅沼 一那(あさぬま かずな)

千葉県出身
日本体育大学柏高等学校卒業

小学校から12年以上にわたる競技経験を持つ。疲労骨折を3度経験するなど度重なる怪我にも屈せず、水泳・陸上・トライアスロンの3つの部活動と学業を両立させている。その姿は、不屈の精神力と卓越したタフネスを備えたまさに「鉄人。「暑さやタフなレース展開ほど得意」と語る通り、常に自身の限界に挑み続けている。

個人競技でありながら、広がる「コミュニティ」の魅力

ートライアスロンの魅力を教えてください

タフな競技だからこそ、ゴールした時の達成感は格別です。
あとは、個人競技ですが、他大学の選手と仲良くなりやすいというのも魅力の一つです。インカレや日本選手権といったレースでは、ライバルでありながらもみんなで協力して集団を引っ張っていったりするので、自然と他大学の選手とコミュニケーションを取ったりしています。自分一人では練習がなかなか厳しい部分もあるので、他大学の選手とも一緒に練習したりすることもあり、コミュニティがとても広いと感じています。またトップ争いをするライバルたちとは、大会会場で挨拶を交わし「調子どう?」などと会話する機会も多いですね。
全員ライバルだけど仲が良く“戦友”のような関係です。

ーレース展開はどのように決めているのですか?

選手間で互いの種目の得意・不得意を把握しています。その上で、「何秒ごとに先頭を交代するか」「何列で走るか」といった集団のペースメイクは、総合力の高い選手たちが指揮を執って進めていくんです。レース中には、集団内にランが得意な選手がどれくらいいるか、後続集団とは何秒差で、誰がどこに位置しているかなど、常に状況を確認し、最適な戦略を模索しながらレースを進めています。

3つの部活動を掛け持つ日々、そして得られる刺激

ー部活を掛け持ちしたことで良かったことはありますか?

それぞれの種目の人たちから刺激を得られること。これは本当に大きいです。
特に水泳では森拓海先輩が国際大会で活躍していますし、駅伝部に関しても箱根駅伝に出場するチームに普段から練習に参加させてもらっています。
いろんな先生方から得られるアドバイスというのは、一つの部活だけにいたらきっと得られなかったと思いますし、自分にプラスになっているんじゃないかと感じています。

「なんでできるか分からない」タフネスの秘訣

ー高校までの練習と大学で変わったことはありますか?

練習スタイルは基本的に変えていません。中学の頃から「朝泳ぐか走るか」「午後は走るか泳ぐか」といったメニューを続けています。中・高校時代は、陸上部の朝練に行き、その後に親に学校まで来てもらってスイム練習に行くというサイクルでした。
大学に入ってからは、朝泳いで、午後は走って、空きコマに自転車に乗ったり、駅伝部のポイント練習の前に自転車に乗ってから走ったりすることもあります。
自分の父親との競技方針というか、「こうやったら強くなれるんじゃないか」というものをずっと続けているので、大きく変わったことはないですが、練習量が増えたり、質が上がったりはしています。

ーすごいタフですね。

そうですね。自分でも「なんでできているか分からない」と思うことがあります。朝練習、授業、また昼にバイクという生活なので(笑)

ー練習を休みたいと思ったことはありますか?

朝頑張って早く起きるんですけど、なかなか起きるのはしんどいですね。そういった時は休みたいなと思うこともあります。
あとは、けがをしてしまった時などは「行きたくないな」「しんどいな」と思うことはあります。まあ、でも大体行って、文句を言いながらもやっていますね(笑)

ーそうなんですね。ちなみにけがはどのようなけがだったのですか?

高校の時は1年間で疲労骨折を3回しました。大学に入ってからは原因不明で膝を痛めてしまい、1年生の冬から2年生の春になる頃まで半年ほど故障していたんですけど、そこからはけがなく1年半くらいずっとできています。今は、けがをしないような体作りフォーム改善など、なるべく故障しないよう心掛けています。
あとは、高校の時に練習量が一気に増えて故障したという部分もあるので、それに慣れて練習量に耐えられる体になってきたのかなと思っています。

ーでは、1番辛いメニューを教えてください

辛いメニューは一つに絞れないんですが…。
やはりスイムだと、最後にハード練習が入る練習だったりとか、ランでは自分のレースペース以上で走る練習ですかね。バイクではペダルを踏むパワーの練習強度をレース以上の強度だったり、自分の体重の何倍という数値でやります。その数値が上がれば上がるほどしんどいですね。
あとは、バイクでそういう追い込んだメニューをやった後に、ランでかなりハードな練習を切り替えてすぐにやる時です。
あれはやばいです…(笑)

ー想像するだけでしんどそうです...

印象に残った大会と憧れの舞台

ー印象に残っている大会はありますか?

インカレ日本選手権です。

インカレでは優勝することができ、「学生日本一」を目標にしていたところだったので達成できてすごく嬉しかったです。

日本選手権では、8位入賞(U23カテゴリー2位)となり、1年次のゴールできなかった悔しさや、けがで半年間の練習ができなかった苦難を乗り越えて掴んだこの達成感は大きかったです。小学校からのライバルである強い同期たちとの激戦を制してU23で2位に入れたことも嬉しかったです。何より、幼い頃から「表彰台に乗りたい」と憧れ続けたお台場の日本選手権で、その夢を実現できたことは、最高の感動であり、家族も喜んでくれたと思います。

ートライアスロンにおける浅沼選手の強みは何ですか?

夏の競技であるトライアスロンにおいて「暑さに強い」ことは大きな強みです。また、小学校から12年間続けてきた競技経験も、今の強みだと感じています。
そして、幼少期に憧れていた元トップ選手たちからスクールなどで直接指導を受けられたことは、私の大きな財産です。その方々から学んだ貴重な教えを現在のレースで実践できていることが、何よりも強力な武器だと感じています。

ー挫折したことはありますか?

日本選手権後の怪我が長引き、1年次は結果も出せず、治療しても治らない状況に「もう辞めようか…」考えたこともありました。辞めれば毎日好きなラーメンを食べたり、好きな時間に寝て起きたりと、厳しい練習から解放されるとも思いました。その状況下で両親が多くの治療院を探してくれ、できることを続けた結果、3月頃には奇跡的に回復しました。
先生や親からの「結果を出せなければ許されない」というプレッシャーもモチベーションに変え、2年次からは良い結果を出せるようになりました。そのような経験を乗り越え、怪我と向き合ったことで再び競技に打ち込めるようになりました。

結果で恩返し」応援に応える強い決意

私にできる最大の恩返しは、良い結果を出すことだと考えています。
私にはお金を払ってお返しすることができないですし、応援してくださる方々のためにも「結果」で応えたいという強い思いがあります。これまでの経験では、自分のためだけに頑張ろうとする時に限って失敗してきました。だからこそ、今は「応援してくれる人がいるから頑張ろう」という意識でレースに臨んでいます。
誰かのために頑張る方が、自分の力を最大限に引き出せると思いますし、その思いが私の競技人生の大きな原動力となっています。

ブリスベン五輪への挑戦:結果と人間性で描く理想の選手像

ー今後の目標を教えてください

オリンピック出場日本人過去最高位(14位以上)を目標とします。

トライアスロンのピーク年齢は現在25〜28歳と言われています。7年後の2032年ブリスベンオリンピックは、まさに私のキャリアのピークと重なるため、明確な目標としています。現時点ではロサンゼルス五輪を目指せる能力はまだないのですが、その先のオリンピック出場ランキングを見据え、具体的なプランを構築し、今できることの準備を進めています

そして、人間性としては「誰からも応援される選手」になりたいです。

私が幼い頃に憧れた選手たちのように、トライアスロンを始める子どもたちやトライアスロンを楽しむ方々からも「かっこいいな」「応援したいな」と思ってもらえる存在になることが目標です。選手としても人としても応援される、そんな選手に成長していきたいです。

【インタビューを終えて】

浅沼選手の口から語られる言葉の一つ一つには、トライアスロンへの純粋な情熱とアスリートとしての揺るぎない覚悟が感じられました。過酷な練習や怪我を乗り越え、自己の限界に挑み続ける姿は大きな感動と勇気を与えてくれます。浅沼選手の今後のご活躍に、目が離せません。

2025年11月19日 取材


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