
目指せ! 国士舘から世界へ 森拓海選手インタビュー(種目:競泳 FISUワールドユニバーシティゲームズ日本代表)
7月16日から27日に開催のFISUワールドユニバーシティゲームズ(ドイツ・ライン=ルール)に日本代表として出場する森拓海選手(政経4年)。昨年末、競泳ジャパンオープン200m個人メドレー優勝、3月の日本選手権では同種目3位入賞を果たした森選手の飛躍の要因と、その瞳の先に見据えるものに迫ります。
<2025年5月28日取材・世田谷キャンパス>
自分と向きあった、その先に
0歳から始めた水泳は決して好きではなく受動的に続けてきたという森選手。クラブチームに所属し、小学校の頃はジュニアオリンピックにも出場していましたが中学時代の骨折以降不調に陥り、全国大会に手が届かなくなっていました。
それでも考える暇なく追われるように泳ぐ日々に、あのコロナ禍がやってきました。
練習や大会がすべて中止となり、森選手に思いがけず自問自答する時間ができました。
「なぜ自分は中途半端なレベルで水泳を続けているんだろう」
考える時間が彼の自我を呼び起こしました。ジャンケンでさえ勝たないと気が済まないという元来の負けず嫌いが選手魂に着火した瞬間でした。

絶望できるのも才能
水泳との向き合い方の変化は試合結果にもつながっていきました。そして何より水泳が楽しくなったといいます。もちろん、思うようにいかないレースもたくさんありました。
「結果が出なかったときは人の何倍も落ち込みます。でも、絶望できるのも才能だと私は思っています。思いっきり落ちこんで、じゃあどうすれば良いか、何が足りなかったか。それを見つけて、あとは努力するだけです」
と、力強く答える森選手。


部活とクラブチーム両立
国士舘大学との出合いは、高校3年のインターハイ。準決勝敗退の悔しさが残る森選手に本学水泳部の和田匡史監督が声をかけました。
「うちで水泳をやってみないか」
その言葉に導かれ、国士舘大学で水泳をすることを決めました。そして、高校最後のジュニアオリンピックでは2位と好調を引っ提げ国士舘大学の門をくぐりました。
最初こそ「一気に強い選手と対峙することになり苦しみました」と回顧するが、環境に慣れると着実に成績を伸ばしていきました。
本学進学後、クラブチームと大学水泳部の2団体に所属することは大変ではないですか、と質問すると
「各コーチの良いところを吸収するように心がけています。多様な視点から学ぶことができる、この環境が私にはあっています」
と答えが返ってきました。
この、貪欲に学ぶ姿勢も彼の持ち味です。
1位以外は敗北者
そして迎えた大学2年の冬、パリ五輪代表選考会。2位までが五輪内定でしたが森選手は惜しくも3位、切符を逃しました。悔しさが滲みましたが、それと同時に世界との距離が具体的に見えた瞬間でもありました。
この時
「1位以外敗北者なんだ」
と覚悟を決めた森選手。
世界に挑む準備が整いました。
森選手は
「自分はまだまだ甘い、1位になるにはもっと自分に厳しく」
と日々闘志を燃やします。世界へチャレンジする中、彼の力強い眼差しの先には2028年開催のロサンゼルス五輪があります。
「今回のワールドユニバーシティゲームズ(ユニバ)、その後の試合も一試合一試合結果を出します。そして3年後のロス五輪では金メダルを獲りにいきます」


読者にむけてメッセージ
受験勉強やスポーツなど、さまざまな場面で評価を受けることがあると思います。その時、「もう、このままじゃダメかも」と言われたり、思うことがあると思います。でも、それでもあきらめないで挑戦し続けてほしいと思います。自分の目指したいと思ったことは、目指すべきです。
私は、挑戦せずに生活する人生は面白くないと思っています。挑戦して達成する面白さがあってこそ、だと思っています。もちろん、挑戦するからには敗北もあれば失敗もたくさんあります。でも人生失敗することなんて、これまでもこれからも沢山あると思います。
私も何度も失敗してきましたが、その失敗から自分が生きていくうえで大切なものや優先順位が見えてきました。紆余曲折があったからこそ、人格が形成されていった部分もありました。高校でも、大学でも、社会人になっても、何か一つでもいいので挑戦してみてください。
あと、何かに突出した人間は面白いなと思っていて、エピソードを聞いても魅力的でいいなと思います。もちろん、悪い方向に突出して周りに迷惑をかけるのはダメですが、これだ!と思って、もし失敗しても、笑えるエピソードにしてしまえるような人が良いですよね。

最後に、森選手のとある一日を聞きました。



プロフィール
名前:森 拓海(もり たくみ)
学部:政経学部経済学科 4年
生年月日:2003年11月5日生まれ(21歳)
出身地:神奈川県
出身校:神奈川県私立武相高等学校卒業