「スポーツ」とは何か
ゲームとプレイの”Newold”
なぜ私たちはいびつなボールの形や「手を使ってはいけない」という制約を受入れることができるのか?スポーツの語源
日本において、”スポーツ”と言えば“体育”を思い浮かべる人が大多数かと思います。したがって、”ゲーム”という言葉でスポーツをイメージすると、e-スポーツが想起されるように、日本ではこの言葉をスポーツ概念の中心において使うことはあまりありませんでした。しかし、”スポーツ”の語源はラテン語のdeportare(デポルターレ)という単語だと言われており、これには気晴らしや遊びという意味があります。欧米では、放課後にみんなで騒いでふざけたり、遊んだりする時間こそがスポーツであり、みんなで楽しむための仕組みをゲームと言います。草サッカーだろうと草野球だろうとプロスポーツだろうと、みんながゲームのプレイヤー。だから、プレイヤーのなかでも「アスリート」は尊敬されます。彼らは肉体的に鍛え上げられ、見たこともないプレーができるからです。それに対して日本人は、放課後に道草して自分たちでボールを蹴ったり、スケボーをしたりすることは”遊び”であり、スポーツの前の状態と認識されます。ちゃんとした大会があって、そこで結果を出すことこそが、体育の目的に適うスポーツの世界(姿)だというイメージが強く固定化されているように思います。
歴史的に”近代スポーツ”という文化現象が起きたのは、19世紀のイギリスにおいてです。当時は、ブルジョアジー(産業資本家)と呼ばれる存在(社会階級)が台頭してきました。それまでは、王侯貴族・ジェントリー(上流階級)と大衆(庶民、下層階級)という2つの階級でしたが、蒸気機関というエネルギーが生まれて産業革命が起こり、庶民の中で才能のある人たちが産業資本家として財を成すようになったのです。これがブルジョアジー=「中産」階級と呼ばれる人たちです。しかし、階級社会において中産階級と上流階級が交わることは基本あり得ない時代。そこで、私立の全寮制寄宿舎学校=パブリックスクールが重要なプラットフォームとなりました。もとは上流階級の子弟が通うところだったのですが、ブルジョアジーが莫大な寄付を行うことで自分の息子たちを入学させるようになったのです。ここで、遊び=スポーツを通じて階級が交わっていく(社交する)ことになり、スポーツの近代化が加速していくことになりました。
ゲーム性を高める制約
歴史をさらに遡ると、スポーツの起源は上流階級の狩猟にあったと言われます。本来、魚や獣を捕るのは食べるためであり、漁師たちは皆自然と肉体を使っていました。農業や林業も同じです。しかし、それは生きるために必要なことであり、遊びではありません。上流階級の場合は、狩猟をしなくても食べるのに困ることはないほど富があり、いつも退屈な時間を過ごしていました。そこで、遊ぶために狩猟を行うようになります。自然界の生物と人間は対話することができず、もちろん権力も通用しない。自分たちの言いなりにならないからこそ楽しい(?)相手である、動物と対峙することに夢中になりました。狩猟はどんどん手の込んだものになっていきます。犬を猟犬化する、野生の馬を手懐けるなど、長い年月と財力を背景に動物を飼い慣らすレベルを上げていきました。そして、そこでは遊び(楽しみ)の時間を延長するために、動物を殺すのではなく生け捕りにすることがめざされ、結果として非暴力性が強調されることになります。
一方、大衆や軍隊の間でも原初のスポーツは行われていました。たとえば、サッカーのもととなるフットボールは、牛や馬の膀胱が使われ、年に数回実施される祭礼行事としての側面を持っていた時代が長く続きます(中世ヨーロッパの時代)。モブフットボールと呼ばれるこの野蛮なゲームは、相手を殴り倒しても構わず、ボールを指定されたゴールに持っていくという暴力的なものだったと言われています。近代においては、こうした祭礼的な取り組みにも、中流階級で財を成した人たちがさまざまな制約を持ち込み、先に述べたパブリックスクールで「サッカー」というスポーツにゲーム化しました。たとえば、フットボールではわざわざもっとも自由がきく手や腕を使わないとすることで、難易度を上げゲーム性を高めました。アメリカの室内ゲームとして発祥したバスケットボールでは、ボールを持って3歩以上歩くことを禁じました。ラグビーにいたっては、ボールを前に投げてはいけないというだけではなく、形状をわざわざ楕円にしました。そこでは、何が起きるかわからない偶然性を意図的に作り出すことに成功します。それまでは、身体をとにかく目いっぱい使ってエネルギー発散すれば面白いと思っていたことが、身体をあえて不自由にすることによってよりゲームが面白くなるということを発見したわけです。これは新たなスポーツの発明=スポーツ革命、と言ってもよい出来事でしょう。
フェアであること
産業革命で機械化が幕を開けた結果、生活の中で人間の筋肉的なエネルギーを目いっぱい発揮する必要はなくなりました。近代スポーツは、この有り余ったエネルギーをどのように再配分するかを考えながら進化してきたとも言えます。プレイやゲームに制約を課すことで、身体的なリソースをどのように再配分するか。結果、鍛え方を変えることで高く飛べるようになるとか、速く走れるようになるとか、ボールを速く持っていけるような身体操作=運動技術、に長けた人たちが登場します。現代のアスリートにつながる流れです。この感覚は、ブルジョアジーのビジネスに似ています。経営を計算し尽くしてマネジメントし、ビジネスの結果をコントロールしたいと考えた結果、経営リソースのエンジアリングが重要になっていきました。
面白いのは、ビジネスもスポーツも競合が多くなるにしたがって、結果は最終的に偶然の作用によってもたらされることが増えることです。したがって、常にフェアでなければ、どのような結果でも周りの人たちは認めてくれません。意図的に引き起こされた結果(八百長)は、軽蔑の対象となりました。スポーツで考えるとよりわかりやすくなります。また近代以降のスポーツは、相手を傷つけてはいけない、むしろ相手を生かすということが重視されます。これは、ゲームを楽しむためには相手がいなければそもそも成立しないからです。普通の道草遊びでも同様です。大事なことはプレーを続ける=楽しいことを持続させることなので、仲間を探して生かすことが重要です。相手を傷つけた時点でゲームはストップしてしまいますから。また、強い人間だけのチームが勝ち続けると面白くなくなることから、メンバーがシャッフルされます。ゲームというのは、結果が未確定である状態を保つことが面白いからです。そのためには、相手をしっかり理解して尊重しながら常にフェアな状態で、次のゲームを楽しめるようにしなければなりません。近代スポーツがフェアプレイのもとで、互いに傷つけることない安全な状態で競い合うことを第一の目的とするのは、楽しさ(楽しい時間)を継続させること(レジャー)にその原点があり、結果として、この文化は高度なレベルで非暴力性を求め続ける近代以降の社会的なモデルとなっていくのです。
日本のスポーツのこれから
こうして考えてみると、スポーツは、社会を知るために非常に有効な指標や鏡になりうるものだと言えます。たとえば、私たちは日常的に膨大な数の見知らぬ人々とすれ違いますが、普段の生活では特に危害を与えられると警戒し続けてはいません。これは、”根拠がない信頼”とでもいうべき無意識なレベルでの関係性に基づいて、この社会が成り立っているということを意味します。逆に、ちょっとでも暴力事件だとか、通り魔事件があると極端に不安になります。その“根拠のなさ”自体が暴露されてしまうからです。スポーツの世界も同じです。相手が乱暴しないだろう、するはずがないという相手に対する信頼があるからこそ、ゲームに集中できるわけです。国際大会になれば、選抜されていて実力が拮抗していると信頼できるので、全力を尽くせる。実力差がある場合だと、全力を尽くすと相手が怪我をしてしまう可能性すらあるため、プレーすることに不安を感じてしまいます。これらはある意味で相手に依存している状態だということもできるでしょう。社会でも同じことが起きていると言っても過言ではありませんから、スポーツでの解決策を、社会をより良くするために活かすことも十分に可能なのです。
現代日本では少子高齢化や生活の質向上のためにスポーツが注目されており、身体的な健全性や健康がフォーカスされることが増えました。しかし私は、スポーツをしたいがために健康でありたいと考える方が自然だと伝えています。要するに、楽しくゲームするには健康でなければならないということです。人は、歳を取れば肉体的に衰えていきます。70歳、80歳になれば身体を動かすことも難しくなるでしょう。これはどんな人でも例外ではありません。現代では、高齢者とスポーツは相反する概念になりがちです。しかし肉体的な制約は、スポーツを楽しむ上ではむしろプラス。制約が増えることによって、よりゲーム性が上がるという考えからすれば、年齢が上がった方がスポーツをより面白く、楽しくすることができると考えられます。これは、スポーツの極めてユニークな点でもありつつ、それを哲学的、あるいは社会学的に理解することの重要性を示唆してくれています。スポーツは現代社会において、障害者等を含む多様な人びとを包摂(インクルージョン)し共生を実現していくような、これからの新しい社会構造(社会のしくみや姿)を模索する上でとてもユニークな視点を提供してくれる可能性があるのです。
話を聞いた先生(取材日:2024年7月9日・多摩キャンパス)
菊 幸一 (きく・こういち) 国士舘大学 体育学部体育学科 特任教授
富山県生まれ。1987年 筑波大学大学院博士課程体育科学研究科単位取得退学、教育学博士(1988年、筑波大学)。以後、九州大学健康科学センター助手・専任講師、奈良女子大学文学部助教授を経て、2008年より筑波大学体育系教授。2023年より国士舘大学体育学部体育学科特任教授。専門はスポーツ社会学。
学生時代には柔道を行っていた。1984年ロス五輪で柔道の金メダリストになった山下泰裕氏とは同い歳で、中学校の全国大会で試合をしたことがあり、筑波大学大学院在学中には山下氏の東海大学での授業を代行したこともあったとのこと。山下氏は現在JOC会長だが、氏が全柔連会長のときに菊先生が暴力問題で揺れていた柔道界にMINDプロジェクトを発案し、気心が知れた仲。中学校当時から柔道の怪物でとても勝てる相手ではなかったと菊先生は話す。しかし現在はきっと、オリンピックに対する鋭い舌峰で、相手からたくさん一本とっているに違いない。