Kokushikan Magazines Feature

「アスリート」とは何か

-プロとアマチュアの”Newold”-

政治と経済と一獲千金の夢。”代理戦争”といわれても損なわれることのないアスリートの存在意義とは。

アスリートの語源

アスロン(Athlon)という古代ギリシアの言葉があります。”競技”という意味です。これらは、トライアスロンやアスレチック、そしてアスリートの語源になっています。古代ギリシャでは、95%は奴隷で市民は5%だったと言われています。市民には高い教養が求められました。そこで生まれたのがリベラルアーツです。その基礎となったのは、知性ある弁論術(哲学)、感性を表現する音楽(芸術)、そして理想の肉体を追求する運動(スポーツ)です。市民としてさまざまなことを政治的に裁定することは、神の代わりを行うことと考えられていた時代。そのためには、知恵(脳)、精神(心)、身体のバランスが重視されたのです。アスリートの語源には、その一翼を担う才能(の一部)を有しているという意味が含まれていることになります。

ちなみに、14世紀から16世紀のイタリアで活発化したルネッサンスというのは、新たな”再生”や“復活”という意味があります。試みられたのは、古代ギリシア時代の知性や感性の“復活”です。それらが、中世ヨーロッパのキリスト教世界の中で抑圧されていたためです。このルネッサンスの時代に、リベラルアーツは自由七科として体系化されています。しかしこの時、身体性=運動だけは取り残されてしまいました。これは当時、身体そのものが戦争の道具になっていたことやキリスト教の心身二元論による身体=肉体に対する貶価の影響が大きかったと考えられています。同じ現象は、20世紀初頭の戦前の日本にもみられ、日本の体育の目的の一つに力強い兵隊の肉体を作ることが重視されたのと似ています。戦前の日本では、体格貧弱な兵隊の肉体をいかに西欧的な肉体に近づけるのかということが、国家的な野望、目的でもありました。こうして考えてみると、アスリートという存在の歴史的背景には、紆余曲折の道のりがあったことがわかります。

アマチュアとプロ

近代スポーツは、身体的制約をルールとして加えることでゲーム性を高め、フェアプレイを重視しました。しかしここで、アスリートたちが目指す頂点が、アマチュアとプロという2つの方向に分かれてしまったことは一種の悲劇であったと考えられます。どちらも競技を極めた存在であることに変わりはありません。しかし、プロは最高の技術をもったアスリートを集めた各国で各スポーツ種目のリーグを頂点にしたピラミッド構造となっており、アマチュアはオリンピックを頂点にしてアスリートが最高の技術を競う構造となる歴史が長く続きました(オリンピック憲章からアマチュア規定がなくなったのは1974年)。しかし、本来スポーツはゲームであり、そのプレイヤーたちがフェアなルールの中で遊ぶ(プレイする)ものですから、そこに境目・境界などは存在しないはずです。ところが、(他の文化領域と異なって)ことスポーツに限ってはどちらも最高のアスリートであるにも関わらず、この山が交わることは極めて難しい状態を歴史的につくってきました。

他方で、すでに現代のスポーツは単なる純粋なスポーツのゲームではありません。コマーシャリズムむき出しのマネーゲームでもあり、政治的なナショナリズムを競い合うゲームといった側面があります。オリンピックも同様で、この3つのゲームで構成されていると言ってよいでしょう。1つはスポーツによる、2つ目が経済による、そして3つ目が国家による、それぞれのゲームです。プロもアマも、プレイヤーは純粋にプレイに集中しているだけにも関わらず、見る立場によってこのような複雑な意味をもってしまいます。たとえば、とあるスポーツのプレイヤーの得点は、1点でどのくらいのギャラになるのかと考えてしまったり、紛争のある国家同士に所属している選手に代理戦争的な要素を見出してしまったりと、プレイの質ではなく、プレイヤーがどのくらいそのゲームの結果次第で社会的に価値ある存在なのかを判断するケースが増加しているのです。

また、プレイヤー本人ばかりでなくその親や周囲の関係者(アントラージュ)にとっては、スポーツに一攫千金の夢をみたり、著名な大学にスポーツで行ける(スポーツ推薦)等といった、スポーツが持つさまざまな人生にとってのメリット(利益)が語られるようになりました。一方で、テニスやゴルフのように「〜オープン」と題された大会には、”プロに開かれている”という意味があり、プロ・アマ関係なく競技に参加することができます。このように、さまざまな立場が乱立するようになった現代では、スポーツ=遊びである、という純粋な理解だけでアスリートを説明することが難しくなっているのです。

社会的な価値

とはいえ、社会におけるアスリートの存在意義が損なわれることはありません。たとえば、アスリートの身体というのは極めて鋭敏です。つねにトレーニングしているだけではなく、食事を通した栄養管理、社会的な立ち居振る舞い、支援に対する感謝への表現に至るまで、あらゆる社会的要素を備えることが求められています。また、自らを支援している国家に何かあれば、いち早くその影響を受ける存在でもあります。練習環境と気候変動の変化を、自らの身体への影響や変化から肌で感じとることができるフロンティア的な存在でもあるでしょう。さらに、自分を支援している方々と会話することで、相手の心理にポジティブな影響を及ぼせることを目の当たりにする機会もあるでしょう。スポーツする身体というのは、研ぎ澄まされた感性と感覚をもっていることから、そこから得られた情報を社会に向けてどのように発信していくのかということが、アスリートの責務として課せられるようになってきているのです。

特にオリンピアンには、オリンピックから得られたレガシーを、どれだけ社会に還元できるのかが問われています。いわば、古代ギリシアが目指した”教養ある市民”といった立ち居振る舞いが求められると言ってもいいでしょう。4年に一度、日本であれば400人、500人というオリンピアンが輩出されていますから、ただオリンピックという舞台での勝ち負けを重視した育成に特化するだけではなく、むしろその後、社会的な存在として活躍するための資質・能力の育成にも注力すべきです。そのようなポスト・オリンピックの社会に影響を及ぼす存在としてオリンピアン・アスリートが輝くことで、社会はまた新しい価値をスポーツから得られる可能性があるのです。アスリートには、そのようなミッションを果たすことが期待されているのです。

楽しさ極めた存在 社会モデルとして期待  

過去にさまざまなオリンピアンにインタビューしたことがありますが、特にヨーロッパのオリンピアンたちが口を揃えていうのは、「最後の最後に勝敗を分けたのは運としか言えなかった」ということ。スポーツはさまざまな制約を加えてゲーム性を高め、そこでアスリートたちが競い合っていく中で、不確実性が極限まで高まります。どんなにタイムが早い選手でも、国家や家族に偶発的な事態が生じれば精神的な影響を受けますし、現地の慣れない環境に適応できないケースもあり、最終結果は計算通りとはいかないものです。したがって、このような”運”(偶然性)について語るアスリートたちの発言はまさに的を射たものだと言えます。特に、ヨーロッパのオリンピアンたちは「どうして勝てたのか自分でもわからない。私も努力してきたが、同じように相手も努力していたのだから」という発言をする方が多くみられます。まずは、相手への敬意を最大限に表現するのです。こうした発言は、一種のマナーなのだと思われる方もいますが、同じ境遇にいるアスリートに対する極めて純粋な敬意の表現と受け止めることができます。

古来より、スポーツをやっている人は善人だと言われます。確かにスポーツは、フェアでなければ相手が勝負してくれません。自ずとフェアプレイの精神が身についていくのは事実だと思います。とはいえ、基本的に体育とスポーツがリンクしている日本やその他の国では、その結果が成績評価につながるため、人によっては、望まないスポーツを強制的にやらされて優劣を競わなければなりません。こうなると、みんながフェアなマインドにならないケースもあるでしょう。また、中高校では、運動部と文化部を分ける傾向が顕著になります。しかし、遊びであるはずのスポーツは文化的側面が強いものです。運動部=スポーツという考え方は、身体的側面にだけフォーカスされることを意味しており、その価値が身体運動の優劣のみに焦点化され、ルネッサンスで望まれた知性や感性と結びついた価値の自由性(リベラルアーツ)が半減されてしまいます。スポーツとは本来、気晴らしや遊びを意味します。当然、すべての人にとって遊ぶことは自由であり、楽しいもののはずです。アスリートはその極みであり、社会モデルとして期待される存在なのです。苦しみやハードなトレーニングがあっても、最高に楽しんでいるからこそ極めていけるgifted(才能豊か)な存在と考えるべきでしょう。もちろんその資質・能力は、身体運動以外の多様な分野に当てはめられ、応用されることも十分可能です。我々の生活や仕事、夢といったものと向き合う意識改革にも、多くのヒントを与えてくれる社会的な存在なのではないでしょうか。

したがって、トップアスリート育成の最終目標は、メダル獲得の有無に置かれるばかりでなく、むしろそれ以上に、その後の彼ら/彼女らの資質・能力をいかに社会に還元し活用していくのかに置かれるべきです。そこでは、トップアスリート引退後の長いセカンドキャリアの充実(社会的活用)にこそ、目が向けられる必要があります。

話を聞いた先生(取材日:2024年7月9日・多摩キャンパス)

菊 幸一 (きく・こういち) 国士舘大学 体育学部体育学科 特任教授

富山県生まれ。1987年 筑波大学大学院博士課程体育科学研究科単位取得退学、教育学博士(1988年、筑波大学)。以後、九州大学健康科学センター助手・専任講師、奈良女子大学文学部助教授を経て、2008年より筑波大学体育系教授。2023年より国士舘大学体育学部体育学科特任教授。専門はスポーツ社会学。

学生時代には柔道を行っていた。1984年ロス五輪で柔道の金メダリストになった山下泰裕氏とは同い歳で、中学校の全国大会で試合をしたことがあり、筑波大学大学院在学中には山下氏の東海大学での授業を代行したこともあったとのこと。山下氏は現在JOC会長だが、氏が全柔連会長のときに菊先生が暴力問題で揺れていた柔道界にMINDプロジェクトを発案し、気心が知れた仲。中学校当時から柔道の怪物でとても勝てる相手ではなかったと菊先生は話す。しかし現在はきっと、オリンピックに対する鋭い舌峰で、相手からたくさん一本とっているに違いない。


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