本学人文科学研究科客員教授の彬子女王殿下による特別講義が10月9日、世田谷キャンパスのメイプルセンチュリーホール大教室で行われ、彬子女王殿下は人文科学研究科および文学部の学生らと教職員約200人に「トルコと日本~三笠宮家が紡いだものがたり」と題してご講義をなさいました。
ご講義に先立ち、田原淳子学長はあいさつで、彬子女王殿下の日本文化を守る諸活動をご紹介した上で、「日本文化を共通のテーマとしながら国内外の視点から多くのことについて学べる貴重な機会である」と今年で8回目となるご講義に謝意を表しました。さらに、彬子女王殿下が一般社団法人日本・トルコ協会の総裁を務められていることに触れ、「日本とトルコの友好の歴史や三笠宮家とのつながりについて学ばせていただきたい」と本ご講義に期待を寄せました。
ご講義では、古代オリエント学者であられた崇仁親王がカマン・カレホユック遺跡をはじめとしたトルコの遺跡発掘にご尽力されていたことが、三笠宮家とトルコとのご縁の始まりであると紹介されました。崇仁親王は、公益財団法人中近東文化センターを発意し、トルコに同センター附属アナトリア考古学研究所を設立されるなど、研究に対して非常に情熱的な性格でありました。彬子女王殿下は、すぐに答えを求めるのではなく、さまざまな資料から自分なりの答えを導き出すことを良しとした崇仁親王の姿勢が、ご自身の研究者としての基盤になったと述べられました。
崇仁親王の第1男子である寬仁親王は、アナトリア考古学研究所設立の際に募金委員会を設置し、日本国内における募金活動の推進や講演会を実施することにより設立に大きく貢献されました。さらに、協賛者を対象に「トルコ共和国遺跡巡りの旅」を計画され、自ら総指揮を執って、同国とのつながりを深めました。彬子女王殿下は、父である寬仁親王について、「研究者として貢献された崇仁親王殿下と異なる視点で、両国の友好関係の構築やトルコと三笠宮家との絆を育まれた」と紹介されました。
彬子女王殿下が初めてトルコを訪れたのは、平成10年、トルコ・日本基金文化センター開所式典でした。彬子女王殿下は、寬仁親王の「現地の方と交流ができて初めてその国を知る」という教えで、諸外国に出向いた経験がなく、この訪問が初の海外渡航となりました。渡航前は、寬仁親王の教えの奥にある意味に気付いておられなかった彬子女王殿下でしたが、トロイの古代遺跡やカッパドキアなど雄大な自然を感じ、現地の方々の温い対応に触れられるなど交流を深めたことにより、寬仁親王の教えの意味を真に理解できたと話されました。
次に、彬子女王殿下は崇仁親王が取り組んでおられた遺跡発掘について、アナトリア考古学研究所で所長を務めていた故・大村幸弘氏を紹介されました。大村氏は、50余年にもわたり現地での遺跡発掘にご尽力された考古学者であり、崇仁親王をはじめ三笠宮家と深い信頼関係が構築されていました。彬子女王殿下は、大村氏の人間味あふれるエピソードを紹介しながら、大村氏の姿勢から発掘調査の奥深さを実感されるとともに、発掘に対する探究心や私利私欲のない思い、カマン・カレホユック考古学博物館建設への熱意などを目の当たりにし、研究者として感銘を受けたと話されました。
このように、三笠宮家は中近東文化センターの諸事業を通じてトルコとの深い絆を紡ぎ、アンカラ大学の名誉博士号を三世代にわたり授与されるなど、その伝統を現在まで大切につないでいます。
最後に、彬子女王殿下は、日本とトルコとの歴史的な交流の始まりとされるエルトゥールル号遭難事件などの歴史的背景に触れながら、「両国には支援しあう友好的な交流の深い歴史がある。これらの思いを継承しながら、三笠宮家三代の絆を守り、日本とトルコの友好の懸け橋となれるよう努めていきたい」とご講義を締めくくられました。
ご講義後の質疑応答で、文化や宗教の違いを超えて理解するために意識すべきことを聞かれた彬子女王殿下は、森鴎外の小説『舞姫』を例に挙げながら「概念や価値観は歴史的背景などによって大きく異なる。それらを理解したうえで、先入観を持たずに相手の立場でものごとを考え、何事にも挑戦する気持ちをもつことが大切」とお話しされました。
彬子女王殿下は、残りの時間を利用して、皇宮警察で警衛にあたる本学卒業生についてのエピソードをユーモアを交えながら紹介くださり、本学関係者にとって卒業生の活躍を知る機会となりました。
約1時間の講義と質疑応答を終えた彬子女王殿下は、万来の拍手に見送られにこやかに教室を後にされました。
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これまでのご講義
