Kokushikan Magazines Feature

オリンピアンが挑んだデフリンピック 二人三脚で歩んだ物語

体育学部 体育学科 右代啓祐 准教授

11月15日から26日を会期に開催された東京2025デフリンピック。
17・18日に行われた陸上十種競技では、本学陸上競技場で練習を重ねるアスリートが健闘しました。

彼の名は、岡部祐介選手。そして彼を支えたのは、日本での十種競技のパイオニアでキングオブアスリートの異名をもつ体育学部の右代啓祐准教授です。

岡部選手と歩んだ道のりについて、右代准教授にお伺いしました。

岡部選手との出会い・感じた熱意

岡部選手と右代准教授との出会いは約3年前。
SNSのダイレクトメッセージで岡部選手から連絡があったことがきっかけでした。

岡部選手はもともと400mリレーなどでデフリンピックに出場経験のある選手。前回のデフリンピックで選考漏れを経験し、満を持して十種競技に転向したのですが、悪戦苦闘する日々が続いていました。そのような中、一筋の光を求めた相手こそ、十種競技の日本記録保持者である右代准教授でした。もともと同じ整骨院に通っていたことで岡部選手の存在を認識していたという右代准教授は、SNSのメッセージをみてすぐにアドバイスを送ります。そこから国士舘競技会に出場するなど徐々に交流を深めていく中で、岡部選手から「本格的に練習をみてほしい」と依頼を受けます。

「国士舘で練習をするのであれば、多摩市に引っ越ししてきてほしい。そうすれば競技にすべてを注ぐことができる」と提案したところ、すぐに引っ越ししていました。その行動力と熱意から、"デフリンピックでメダルを目指す目標をより近いところで共に挑戦したい"と思うようになりました。

わずか1歳違いのアスリート。互いに世界を見据える両者の二人三脚の旅路がスタートしました。

会場で岡部選手をサポートする右代准教授(奥)

デフアスリートへの指導の工夫

本学教員として教鞭をふるう傍ら、現役アスリートであり、本学陸上競技部の監督を務める右代准教授がマンツーマンで岡部選手の指導に当たれるのは週1日。十種競技という複雑な競技において、短い時間の中で伝えることに苦しんだといいます。とくに苦労したことは、1つ1つのトレーニングの細かい部分の伝え方でした。

「陸上競技においては、走るときの接地の音など細かい音やリズムがとても重要になってきます。これを音の感覚抜きで伝えることには苦労しました」

と振り返る右代准教授。それを乗り越えたのは、岡部選手との密なコミュニケーションでした。岡部選手の競技中の音を右代准教授が聞き、それに対して岡部選手の手をたたくなどで身体を使ってその感覚を伝えることを繰り返し行います。また、指導の時間が少ない分、SNSのメッセージや動画でのフィードバックを活用したといいます。練習中は動画を撮影し、大きな部分はその場で手話通訳を交えてフィードバック。さらに、夜は寝る直前まで長文のメッセージを送り合い、細かい修正点を見つめなおします。そうして、一歩ずつ着実に歩みを進めます。

その指導の中で、右代准教授も気づかされたことがあると語ります。

「彼の存在から、より一層音にフォーカスするようになりました。アスリートは皆、無意識の中で"この音を出したい"と思うことがあります。音のみで感覚的に判断していた繊細な技術を身体の使い方とリンクさせられるようになりました」

このように、右代准教授にとっても学びのある切磋琢磨の日々となります。

コミュニケーションを取る様子

学生への相乗効果 チーム国士舘で歩む道のり

岡部選手は、本学多摩キャンパス陸上競技場を練習拠点としています。以前は公共の施設でトレーニングしていましたが、周囲への気配りからの気疲れなどがあったのではないかと考えた右代准教授は、この状況を変えたいと本学での受け入れを決めます。それは、岡部選手のみならず本学陸上競技部員のことを考えての決断でもありました。右代准教授は、本学で岡部選手を受け入れる意味をこのように話します。

「世界を目指す岡部選手の姿勢から多くのことを吸収してほしい」

「学生には、事情を説明したうえで受け入れる旨を伝えました。一番は、世界の高みを目指している岡部選手の練習姿勢やマインドから、同じ陸上競技者として学んでほしいというねらいがありました。これには、聴覚障害の有無は関係ありません。その挑戦する姿勢をみて学生が何かを感じ取ってくれればよいと考えました」

この右代准教授の言葉が通じたのか、学生選手らは臆することなく岡部選手とコミュニケーションを取ります。陸上競技は、練習中に数字をよく伝えあうといいますが、次第に、学生が手話で岡部選手とコミュニケーションを取れるようになりました。このような学生の成長こそ、右代准教授が求めていたものでした。

岡部選手は年齢やハンデにも負けず前向きに挑戦し続けています。
その姿勢を学生が間近で見続けているからこその化学反応が起きました。

陸上競技を通じて、学生や社会人、障害の垣根を超えてファミリーになった瞬間でした。

挑んだ大舞台 デフリンピックでの経験

デフリンピック競技会場で、右代准教授は混成コーチとして岡部選手など混成種目全体のコーチを務めました。ウォーミングアップから競技中の細かなアドバイスなど、2日間の競技日程の中でその役割は多岐にわたります。迅速なフィードバックが求められる環境下において、手話通訳の存在が大きかったと振り返ります。

「私自身は手話があまりできませんが、手話通訳の方のおかげでスムーズに詳細なフィードバックすることができました」

コーチのみならず、手話通訳と共にアスリートと併走するデフリンピックならではの体験といえます。

また、右代准教授は会場で印象に残っている出来事としてサインエールを挙げました。
サインエールとは、通常の陸上競技会で使用される手拍子や声援のように音で伝えるものではなく、視覚的に伝える応援スタイルです。
同じアスリートとして、声援や応援の重要性を感じている右代准教授だからこそ、デフリンピックが作り上げる会場の雰囲気に感動したと振り返ります。

もちろん、これは岡部選手にもよい作用をもたらします。指導中、「耳が不自由な中でのリミッターの外し方を伝えるのに悩んでいた」という右代准教授でしたが、「サインエールを通して応援している会場の雰囲気が伝わっていたのではないでしょうか」と語るように、満員の会場の雰囲気が岡部選手の力を最大限に引き出します。

岡部選手は、1日目を終えて総合5位。2日目の種目で順位を落とし惜しくもメダルにこそ届かなかったものの、この大舞台で自己ベストを更新。多くの方々を感動させる7位入賞を果たしました。

スタンドから岡部さんにコーチングする様子。手話通訳も共に

二人三脚で歩んだ先に見つけたものとは

2年にもわたる旅路を終えて、右代准教授はこのように振り返ります。

「メダルという目標には惜しくも届きませんでしたが、彼の頑張る姿を心から尊敬していますし、自分の心の支えにもなりました。年齢も近く、もう一人の自分と共に歩んでいる感覚でした」

陸上競技界ではベテランの域に達した両者。年齢の壁・世界でのメダルの壁。苦しみながら共にそれらの壁に挑戦し続けてきたからこそ、共鳴し合える部分がありました。

「彼と共に練習していることで"選手とコーチ"だけではなく、"選手と選手"として成長できています。彼との出会いに心から感謝しています」

現役アスリートである右代准教授だからこそできた岡部選手との挑戦。これは、間違いなく歴史に残る挑戦です。

デフリンピック後、岡部選手のインスタグラムにはこのように記載されていました。「デフリンピックで学んだことは"人とつながることの力"です。共にトレーニングし、デフリンピックまで帯同してくれた右代さん、国士舘大学の陸上競技部に感謝しています」

オリンピアンもデフアスリートも共鳴する仲間。
二人三脚で歩んだ道のりから得たエネルギーや"つながることの力"を糧に、十種競技のパイオニアの挑戦はこれからも続いていきます。

写真提供:ライフネット生命
  撮影:岸田修、中野豪士(敬称略)

2025年11月28日取材


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