文学部に進学しようと思った理由を教えてください。
小学校の教員免許だけでなく、幼稚園の教員免許も取得でできるところに魅力を感じたからです。他大学だと「教育学部に所属する人の中に教員を目指す人もいる」というスタンスですが、この初等教育コースにいるほとんどが教員志望です。自分はオープンキャンパスでコースの教員志望者の数を知ることができて、それをきっかけに国士舘大学を志望しました。同じ志を持つ人間を周りにおいてする勉強ほど、楽しいものはありません。この大学で得た発見の一つです。
いま一番興味・関心を持って学んでいるテーマや分野、科目は何ですか。
私は今、教育心理学に興味があります。将来教員として働く上で、児童の発達段階について知っておくことが必要になりうると考えたことをきっかけに興味を持ちました。実習や学童保育の場面で実際に知識が役に立つことも多く、学ぶ中での楽しさは尽きることがありません。しかし、知識があるだけではどうにもならない場面などにも出合ってしまうため、教育の難しさというものを再確認させられてしまうことも少なからずあります。自分があまりにも無力なことを知ることが、物事を考える第一歩になると思います。自分は教育心理学でしたが、教育者を目指す皆さんも、まずは何かしら第一歩、知識の造詣を深めてみてはいかがでしょうか。
学年を重ねることで、どのような成果、成長を遂げ、ステップアップできていますか。
小学校教員として教えなければならない内容ももちろん、「どのように」教えて「その科目を通して何を児童が学ぶか」という「指導方法」について、大学生活を送る中で具体性を増すことができました。アルバイトや見学実習等で子どもと接する際、「ただ遊ぶ」「ただ教える」のではなく、その中での言葉遣い、声掛けなどが変わってきたところから、自分の成長を感じることができています。
研究室・ゼミではどのような活動を行っていますか。
「道徳・特別活動」がテーマの、菱刈晃夫教授のゼミに所属しています。菱刈教授は教育哲学を研究されている方で、教育心理学や社会教育学にも精通しています。「道徳」というテーマのゼミですが道徳科目を専門的に扱っているわけではなく、社会心理学や教育心理学の観点から「教育とはなにか」「教師とはなにか」「教師はどうあるべきか」について見つめ直し、論じ合うという活動を行っています。いつも助言をしてくださる菱刈教授は、アリストテレスの言葉「無知の知」の話をしてくださいます。教育は教える側も教わる側も、何も知らないことを自覚するところから始まる、ということをその言葉から学びました。そのおかげで「教育とはこうあるべきだ」という思い込みにとらわれることなく学習に取り組むことができています。教師を目指す以上、忘れてはいけない心構えを教わることができました。
将来のイメージについて教えてください。また、そのために取り組んでいることがあれば教えてください。
自分は、さまざまな面で生きづらさを感じている子どもを支えたいと思い、特別支援の免許を取るべく、大学院に進学することを視野に入れています。その中でも特に、精神的な生きづらさを感じやすいといわれるADHDやASDなどの発達障害を抱えた子どもを支援できるようになりたいと考えています。子どもは乳児から幼児、少年、青年、成人、老人と、生涯に渡り発達を続けます。その中で自立に向けて発達する幼児—青年期の発達障害児を支えるためには発達障害に関する知識だけでなく、幼児理解も必要であると考えます。そのために、今自分は幼稚園教諭免許・保育士資格の勉強を行っています。自分の将来の「教師像」を見失うことなく、このまま勉強に励もうと思います。
国士舘大学で学んだことで成し遂げられた夢、または必ず成し遂げたい夢を教えてください。
自分には「立派な教師になる」という夢があります。ここでいう「立派」とは自分が勉強をすればするほどハ-ドルが高くなるもので、「絶えることなく自己研磨をし続ける」という戒めの意味があります。成し遂げられる、という完結こそしていませんが、自己研磨をするという意味なら国士舘大学で多くのことを多くの先生方から教えていただけているので、のびのびと充実した学生生活を送ることができています。ある種、今の自分は国士舘大学の先生方に依存しているところがあるので、引き続き卒業まで、お父さんのように依存させていただこうと考えています(笑)
国士舘大学をめざす受験生へのアドバイス、メッセージをお願いします。
私は今、国士舘大学で成長していることを自覚できています。自分の「やりたい!」や「学びたい!」を全力で満たすことができています。これから、まだ学び足りないことを学びます。 この権利は私だけのものではありません。あなたも、この貪欲で幸福な権利を貪ってみませんか?
掲載情報は、2023年のものです。