イスラム教シーア派の聖地、ナジャフから北東へ12km車で崖に沿って走ると、アイン・シャーイア遺跡がある。1986年秋から始められた発掘調査の中で、洞窟遺跡と平地遺跡の関係を探ろうと、ドゥカキン洞窟遺跡の調査が実施された。
- ドゥカキン洞窟遺跡
- 僧房跡出土スタッコ製十字架板
洞窟はアッタール洞窟群と同じように断崖の泥灰岩層に掘られたものであるが、それには直交したクラック(割れ目)を利用して、下部から剥がすようにして掘られているのが特徴で、中には上部の泥灰岩の塊が今にも剥落しそうになっている箇所もあり、こうして洞窟が大きくなっていったとも考えられる。ここドゥカキン洞窟群も半島状の断崖に幾つも並んでおり、深くそして両面に通じている洞窟もある。その最初の掘削目的とは別に、この洞窟がその後利用されたことが判った。それらの洞窟内部は風砂が天井付近まで堆積しているが、入り口付近や洞窟内のクラックなどには、泥を塗って塞いだような痕跡が観られた。こうして利用された洞窟が幾つかある中から、人が住んだと思われる洞窟を発掘したところ、天井から背丈(170cm程度)のところまで掘り進んだところに灰層のある床面が検出され、またシリア文字の書かれた土器片なども出土した。洞窟内部の不要な部分を塞いで改良し、固有の空間(3m×5mと2m×2m)を作り出し、そこで生活していたと思われる。この土器に書かれた文字はキリスト教のいわゆるネストリウス派の経文であり、土器片からもこれらの時期は8~10世紀のころのもと思われる。続いて、アイン・シャーイア遺跡の城壁の外にある小さな平地遺跡を発掘した。ここは地表からすでに漆喰の塗られた壁のような遺構が観られ、また風化を受けて堆積物も少ないことから、慎重に刷毛で砂を取り除くようにして進められた。その結果10cmも掘り下げないところで、十字架の破片が出土し、同時に建物の平面が明らかになった。建物は、同じ平面の小さな部屋が並んでおり、それらからも十字架の破片が出土した。更に中国製と思われる灰白色の磁器も出土した。その他の遺構として階段付きの貯水槽が発掘された。こうした遺構や洞窟利用、そして出土物を総合してみると、これらの施設はキリスト教徒の修道院の一部として、アイン・シャーイア遺跡と一体のものとして理解できよう。