調査活動報告
インガラ地区発掘風景インガラ地区発掘風景

国士舘大学の第1次調査は、インガラ地区で行われた。それは、ネブカドネザルII世建立の神殿の南側にある平坦な場所での発掘調査であった。すぐ傍には、英米合同調査隊が発掘した、広さが約1600m2、高さが5mくらいの遺丘があり、発掘場所はその裾野の一角にあたる場所である。英米合同調査隊が発掘した遺丘では、150ほどの墓からなる墓域の下で、初期王朝時代特有の、プラノ・コンヴェックスと称する、下面が平らで上面が凸状の「蒲鉾形」とでもいうべき日干しレンガで構築された宮殿址が発見されている。宮殿は初期王朝時代の第IIIA期(前2400~前2500年)に属するものと考えられていて、他方、その上の墓域は宮殿が放棄された後、アッカド時代(前2334年~前2190年)の初頭に至るまでのある期間に形づくられたものであることがわかっている。国士舘大学隊の調査では、表土直下でパルティア、ササン朝時代のものを含む17基の墓が発見され、その下で新バビロニア時代の、正方形の日干しレンガ造りの建物址(第1層)、次いでさらにその下層でプラノ・コンヴェックス型日干しレンガを使用した、初期王朝時代の建物址(第2層)の存在が確認された。発掘自体はさらに下層まで進み、地下水レベルまで到達している。第2層の下では、目立った遺構は発見されなかったが、まだ遺物を含む層(第3~4層)が下方に続くことが認められた。この遺跡全体にわたって、地下水のレベルはかなり高い位置にあり、それが古い時期の発掘調査を困難にしているのである。

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