テル・グッバは径約80m、高さ8mのテルである。テルとはいくつもの年代の文化層が重なってできている遺丘である。グッバには大きく4つの時代の建物跡が発見されており、一番上は無数の墓に取り囲まれたイスラム時代のイマーム(廟)の跡であった。下の古い時代の建物を発掘するには、これらの墓を取り除く必要があり、形質人類学者の協力を得てこれらの墓の調査がおこなわれた。イラクの土壌は骨が残るため、墓の発掘、人骨や獣骨との遭遇は日常茶飯事なのである。骨の取り上げ方法や保存のために、文化財保存関係者の協力も得て、廟の下や墓の下を掘り進むと、上から二番目の時代のアケメネス朝時代の大きな方形の建物が発見された。外壁には装飾用の壁龕が設けられており、イランのペルセポリスなどの遺跡と類似していることがわかっているが、遺物は極端に少ない。不思議な事に、これは類似遺跡も共通している。
大きなこの建物を取り除き、さらに下に掘り進むと、中心に火を焚いた炉がある円形の基壇が発見された。炉の中からは注ぎ口がついた土瓶のような土器が発見されており、火を焚く際になんらかの形で使われたものと想像された。基壇の中心で火を焚き、宗教的な儀式を行ったのだろうか、それとも穀物を燻蒸するためのものだろうかといろいろ想像されたが、想像の域をでない。
発掘を進めると、この基壇を取り囲むように放射状に倉庫や居住遺構があらわれた。これらの一部は火災で放棄されており、多数の土器がそのまま残された状態で発見されている。緋色と黒の2色で描かれたスカーレット・ウェアーという土器である。ディヤラ・ウェアーとも呼ばれているこの土器は、この地方独特の初期王朝時代第I期(紀元前2900年~2700年頃)を象徴する遺物の一つであり、水鳥や魚、ヤギなどの動物や植物、幾何学文、人物文などが大胆に描かれている。発掘調査隊は何百もの土器の復元や図面作成に追われることになったのである。大きいものでは径50cmを超える大壺もあり、何十もの土器がまとめて発見される事もあるため、個体識別を伴う作業や復元作業の後、図面化されるのである。2年以上の月日を発掘と整理作業に費やしたが、それでも終わらず、その後の土器整理にかなりの時間を割いている。
発掘していくと倉庫や居住施設は何回も立て替えられており、初期王朝時代には4つの層が存在する事が判った。しかし、中央の円形基壇は下層まで続いており、最終的にはこのテルで最古の文化層であるジェムデット・ナスル期(前3000年頃)まで遡る事が判った。炉もその時期に使われたものである。
ジェムデッド・ナスル期の彩文土器
最下層のジェムデッド・ナスル期の建物は、80m規模の楕円形プランを持つ建物である。円形基壇を5重の壁がとりまき、その間を5つの回廊がめぐる。さらにその外には周壕と、それを取り囲む厚い周壁が廻っていたのである。このような建物は発掘当時知られておらず、イラクや欧米の考古学者達からも注目を浴びた。保存をしたいが水没してしまうという事が議論され、建築史の研究者達の協力も得、50分の1の精巧な模型が造られ、現在大学内と中近東文化センターで公開されている。
この建物には謎が多い。中央基壇の炉もその一つであるが、基壇の下部には、炉の真下を通る坑道が掘られていたのである。これは墓なのか、宝物庫なのかと議論されるが、遺物はほとんどなく不明である。また子供を含む16人もの人達が投げ入れられていた土壙、建物内に設けられた井戸部屋など、興味はつきない。
テル・グッバ遺跡調査、主要参考文献
藤井秀夫編著 『ラーフィダーン』第2巻(1981):特集記事、イラク・ハムリン発掘調査概報、他、『ラーフィダーン』第5-6巻(1984-85)、第9巻(1988)、第10巻(1989)、第11巻(1990)、第14巻(1993)に掲載。