調査活動報告
イラク西南沙漠

イラク西南沙漠

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西南沙漠が果たした文化史上の役割

メソポタミア文化形成の特性を明らかにするには、その周縁地域文化との関連を民族の移動路によって追求する手法がある。東地中海沿岸地域からバビロニアを目指す場合、ユーフラテス河沿いのコースの他に、アラビア内陸部からユーフラテス河に向かって傾斜する山地形の水を集めて流下する涸河(ワディ)沿いのコースが挙げられる。

 

ワディ・ウバイドはカルバラ台地(バグダード南西約100km)西方のラザーザ湖へ、ワディ・ヒールはナジャフ台地(カルバラ市の南方約120km)郊外のハール湖へ注ぎ、両者は共に、カルバラ~ナジャフ台地に、西接するアブディビス凹地を涵養している。

 

この凹地が西南沙漠地域に果たした役割は大きい。(1)ワディ・ウバイドの川辺には、8世紀半ば、アッバス朝カリフ・マンスールの建てた、ほぼ正方形の城壁で囲まれたウハイダル別宮があるほか、凹地の南北方向に、オアシス聚落のラハリア、シサーサ、クセイル等自噴泉や掘抜井戸を伴う遺跡が多数発見された。それらの水質は同位体水文学の調査によると、現在の雨水、涸河、ユーフラテス河の水とは異なり、第3系中新統の地質から、移動する断層線にそって湧出した深層地下水である(沙漠の遺跡調査には地質と水文学調査は欠かせない)。湾曲して流れるユーフラテス河を短絡するため、ラマディ~ナジャフを結ぶ駅馬車がこれらのオアシス地をつなぎ、またウハイダルから分かれて、カルバラ台地上に、光塔(ミナレット)を持つアトシャンを経て、カルバラ~ナジャフへの道も開かれた。(2)この凹地からメソポタミアへ進入するには、カルバラ~ナジャフ台地の崖線がある。カルバラ側にはアッタール洞窟を始め、480の洞窟、ナジャフ側には修道僧のドゥカキン洞窟と関連するアイン・シャーイア遺跡等が検出された。(3)ワディ・ウバイド中流域のハフナの岩壁、アッタールの硬砂岩層、アイン・シャーイアの掘抜井戸の入口などに刻まれた騎馬人像や部族を明らかにする記号等は、この地を通過するか、活動圏とする集団の足跡であろう。

矢印アッタール洞窟遺跡

アッタール洞窟遺跡
アッタール洞窟遺跡の調査結果を掲載しています。

矢印タール・ジャマル遺跡

タール・ジャマル遺跡
タール・ジャマル遺跡の調査結果を掲載しています。

矢印ドゥカキン洞窟遺跡

ドゥカキン洞窟遺跡
ドゥカキン洞窟遺跡の調査結果を掲載しています。

矢印アイン・シャーイア遺跡

アイン・シャーイア遺跡
アイン・シャーイア遺跡の調査結果を掲載しています。

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