調査活動報告

シリア テル・タバン遺跡

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テル・タバン、宮殿状建物跡の煉瓦敷きテル・タバン、宮殿状建物跡の煉瓦敷き

テル・タバンはシリアの北東部、イラク国境に近いハッサケ市の南約30km、ユーフラテス河の支流、ハブール川中流域のダム建設に伴う水没地区にある。同地区内には約60の遺跡が点在するが、テル・タバンは最大級の規模(約300x350m、高さ約25m)を誇り、古バビロニア時代(前18世紀年頃)のマリ文書や中期・新アッシリア時代(前13-11世紀頃・前9-7世紀頃)の首都アッシュールやニネヴェ出土の文書に登場するこの地域の統轄拠点として繁栄した古代都市“タベトゥ”に古くから比定されている遺跡でもある。

発掘終了後のテル・タバン遺跡発掘終了後のテル・タバン遺跡

1997年から1999年にかけて3回の発掘調査が実施された。遺跡の裾部を発掘し、上層からイスラム時代、ヘレニズム時代、新アッシリア時代、中期アッシリア時代、ミタンニ時代の生活層を確認した。最大の成果は、アッシリアの帝国化の黎明期に相当する中期アッシリア時代(前13-11世紀頃)の層位から、日乾煉瓦造の宮殿状建物跡の一部とともに楔形文字が刻まれた計71点にも及ぶ楔形文字資料(焼成円筒形碑文片9点、粘土板文書片1点、焼成煉瓦片46点、焼成土製鋲・釘片15点)を発見したことである。これほどの数の楔形文字資料の発見は、メソポタミアの40年に及ぶ日本の調査隊の発掘史の中では初めてである。これらの文字資料の多くはタバンの歴代の王が宮殿や城壁を建立、修復した際の定礎記念碑文で、その記述内容からテル・タバンはアッシリアの西方進出の拠点として君臨したハブール中流域のマリ王国の都“タベトゥ”であったことが実証された。文字資料が少なく謎の時代と言われている中期アッシリアの全容解明に向けて、貴重な新資料を提供したことで、欧米の学会では高く評価されている。

テル・タバンから出土した円筒碑文テル・タバンから出土した円筒碑文

これまでの日本の調査隊によるメソポタミア地方における調査は主に先史時代の遺跡に限られ、楔形文字使用期の歴史考古学の研究領域では欧米に後塵を拝していたが、本調査が契機になり日本がやっと同じ土俵に立つことができたという面で、画期的で意義深い調査であったと言える。

テル・タバン遺跡、主要参考文献

大沼克彦他「シリア、ハッサケ市近郊タバン遺跡の発掘調査:1997年度調査概報」『ラーフィダーン』第20巻(1999)、他、『ラーフィダーン』第21巻(2000)、第22巻(2001)、第23巻(2002)他に掲載。

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