遺跡は約60m×50m、高さ2m程である。文化層としては4層あり、下層から4、3層がハラフ期、2層がハラフ期からウバイド期への移行期、そして1層がウバイド期である。ハラフ期の建物はタウフ(練り土)と言われる練り土を重ねて行く方法で造られ、現在でも家を囲む壁等に使われている。ハムリン地域は北メソポタミアに分布したハラフ文化の南限に近く、その上、南メソポタミアに起こったウバイド文化が北へ拡散するときに最初に両文化が接するところに位置するところからその過程が2層目に顕著に現れている。
1層からは土器窯や溝が検出されたが、土器などは商品価値のあるものばかりではない、失敗品と思われるものや、壊れた器をまた繋いで補修したものなど様々である。1層の遺物はウバイド3期の始めと言われる彩文土器であるが、これらにも依然ハラフ期の文様や土器の形式が観られる。ただ徐々にウバイド3期の文化は北上し、メソポタミア全土に拡散することになる。これらの上層にも数多くの墓が発見された。それらはジェムデッド・ナスル期、初期王朝時代、古バビロニア時代、カッシート時代などの時期に属する。これらは周辺にこの時期の人々が住んでいたことを示しているが、テル・グッバを除くと近隣に遺跡は見当たらず、ハムリン内のかなり遠方から運ばれてきたようだ。
ソンゴルBの遺構