調査活動報告
チョガ・ザンビール遺跡のジッグラト南西面チョガ・ザンビール遺跡のジッグラト南西面

1979年のイスラーム革命以後のイランで、遺跡調査や文化遺産保護の事業から国外の機関は長く締め出されていた。日本のユネスコ信託基金を活用した遺跡保存事業が、その鎖国のカーテンを最初に開くことになる。フゼスタン州のチョガ・ザンビールがその遺跡で、1995年2月、はじめての予備調査ミッションが派遣された。戦時下には隣国から砲弾が届く距離にあり、かつては古代メソポタミア文明の所産がストレートに伝わったエラムの土地で、遺跡はスーサに代わる都だった。50年代にフランスの調査団が、ジッグラト(聖塔)や神殿、王宮、市壁などその全容を明らかにした。遺構のほとんどは日乾煉瓦を積んだものだが、ジッグラトの被覆や地下の墓室、給水施設などに用いられた焼成煉瓦の組積法には目を見張るものがある。ユネスコ事業では、風雨にさらされるままだったこれらをどのように修復し未来につなげるかという保護処置とともに、鎖国同然の時期に枯渇した人材を新たに育成することも重要な課題となっている。私たち研究所からはメソポタミアの日乾煉瓦遺構に通じた岡田が当初からミッションに貢献し、イランの文化遺産庁はじめ、ユネスコの文化遺産局、埼玉大学、フランスのグルノーブル建築学院などとの交流も生まれた。2006年春現在、第2期の事業計画が始まろうとしている。なお、2003年末の地震で被災したバム遺跡の修復事業も、チョガ・ザンビールと同様の枠組みで進められている。

チョガ・ザンビール遺跡のジッグラト復元図チョガ・ザンビール遺跡のジッグラト復元図
イランでのチョガザンビール事業関係主要参考文献

ユネスコ(編)2003『チョガ・ザンビール遺跡』(ユネスコ)。岡田保良2005「震災後のアルゲ・バム遺跡-修復への道程」『西アジア考古学』第6号,173-182.
2001「イラン、チョガー・ザンビール遺跡の保存修復」『第15回「大学と科学公開シンポジウム世界の文化遺産を護る』(クバプロ),147-155.

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