調査活動報告
キシュ遺跡

バビロンの東約15kmのところにある古代都市キシュの遺跡は、約2000ヘクタールの広さのなかに大小多数の様々な種類の遺丘を擁する遺跡である。前3千年紀にシュメールとアッカドの地と記述され、後世ともに合わせてバビロニアと呼ばれた南メソポタミアの広大な平地にふさわしい大都市遺跡だといえる。キシュは、洪水の後、最初に王権が下った場所として記録されている。また、アッカドの王サルゴンがこの地から興起しアッカド王朝を樹立したという説話も残っている。それゆえに、前3千年紀を通じてシュメール・アッカドの地でキシュが重要な都市であり続けたことは疑いない。この遺跡は1800年代の中頃フランスのオペールが、さらに1912年に同じくフランスのジュヌイヤックが発掘を行ったが、1922年~1933年にかけて行われた英国オックスフォード大学と米国シカゴ自然史博物館の共同調査が、今でもこの遺跡の研究に貢献する多くの情報をもたらしているという点で、この地における本格的な発掘調査であったといえよう。それから数十年を経て、国士舘大学調査隊(隊長:藤井秀夫)がこの遺跡の調査に取り組むことになった。その第1次調査は1998年から1989年にかけて行われ、湾岸戦争後、2000年に調査が再開(第2次調査、隊長:松本健)されて、引き続き2001年に第3次調査(隊長:松本健)が行われたが、イラク戦争後は調査の中断を余儀なくされている。

 

遺跡自体の居住は、ウバイド期に開始されたと考えられており、ジェムデット・ナスル期(前3100年~前2900年)、初期王朝時代(前2900年~前2335年)、さらには古バビロニア時代(前2003年~前1595年)、新バビロニア時代(前625年~前539年)、アケメネス朝ペルシャ時代(前539年~前331年)、パルティア時代(前141年~後226年)、ササン朝ペルシャ時代(西暦226年~642年)と連綿と続いたことがこれまでの調査で明らかとなっている。

 

遺跡の中心部はウハイミルとインガラと現在呼ばれる二つの主要地区から形成される。インガラ地区は少なくともウル第3王朝時代より「フルサグカラマ」と呼ばれていたことは事実で、ウハイミル地域を中心とする元来の「キシュ」と合わせて、いわゆる「双子都市」を形づくり、共に「キシュ、フルサグカラマ」として、前3千年紀以降も、南メソポタミアで重要な役割を果たし続けた。インガラ地区には、今でも新バビロニア時代にネブカドネザルII世(前604-562年)が建造した神殿が、初期王朝時代のジッグラトを内包する二つ遺丘の横にそびえ建つ。一方、アラビア語の「赤い」を意味する言葉がその呼び名の語源であるウハイミルの地区には、古バビロニア時代のジッグラトを擁する神殿址があり、そのジッグラトは現在、この地区の呼び名の如く、「赤い」遺丘としてひときわ目立つ。この神殿は戦いの神ザババを祀ったものであった。

矢印インガラ地区

インガラ地区
インガラ地区の調査結果を掲載しています。

矢印プラノ・コンヴェックス建物地区

プラノ・コンヴェックス建物地区
プラノ・コンヴェックス建物地区の調査結果を掲載しています。

ページの先頭へ