4種目を制する完全優勝で2020年11月、全日本選手権3連覇を果たし、東京五輪への期待も高まる新体操日本代表「フェアリージャパン」個人選手の喜田純鈴選手(21世紀アジア学部2年)。わずか12歳で全日本・種目別で優勝し、一躍全国区となった喜田選手ですが、ここまでの道のりは必ずしも順風満帆ではなかったようです。国内大会で圧倒的な実力を見せ続ける喜田選手の最新インタビューをお届けします。
<2020年11月25日取材・多摩キャンパス>
――全日本選手権3連覇の率直な感想を。
優勝して安心したというのが率直な気持ちです。今回の全日本で優勝してから東京五輪の代表争いに臨みたかったので、勝てて本当によかったです。
――コロナ禍の影響は?
緊急事態宣言になってからの数カ月間は、私の練習の拠点である地元・香川で練習を続けていました。不安に思う時期もありましたが、自粛期間を経て、自主的に練習に取り組むことができるようになりました。次の大会が決まっていない中での練習は初めてでしたが、プレッシャーを感じることなく課題に向き合うことができ、自信もついたと思います。東京五輪が1年延期になったことも、私にとってはプラスです。
- 東京五輪の1年延期はプラスだと語る喜田選手
――全日本インカレに初出場して優勝しました。
インカレに出ようと思ったのは、2020年2月の国際大会を最後に実戦の場がなくなったので、試合の感覚を取り戻したかったからです。自粛中に演技面で新しい挑戦もしたので、その成果を実践したい気持ちもありました。大会では、楽しんで伸び伸びと演技ができたと思います。
――ロシアに留学していたのは高校時代?
高校2年生の最初から卒業までの2年間です。けがなどもありましたが、ロシアの環境は私にはあまり合わなかったらしく、日本にいる時より成績が下がってしまいました。地元・香川で、私が新体操を始めた4歳の時から指導を受けているコーチとも話し合い、帰国することを決めました。国士舘大学に入学する前のタイミングで日本に戻ったので、大学の入学式にも出ることができ、とても新鮮でした。
――コロナ禍以前の大学生活はどうでしたか?
本学新体操部に入部した当初は特別強化選手ということもあり、特別視されがちでした。それは私の本意ではなかったので、一部員として接してほしいと皆に伝え、自分からも積極的に話しかけるようにしました。山本里佳監督からも、他部員と分け隔てなく指導していただいたこともあり、今では部員のみんなと友だちになりました。上京時には部屋に泊まらせてもらうこともあります。地元の所属クラブとはまた違い、同年代の選手と仲良くなる機会が私にはとても大切で、一緒にご飯に行くなどの気分転換もしています。
- 他の新体操部部員たちとともに練習に励む
- 練習のあいまにリラックスした表情も
- 隣接したフロアでは男子新体操部が練習する
- 女子新体操部・山本里佳監督と
――国士舘アスリートにメッセージを。
競技の違いや目指す場所の違いはあっても、それぞれの立場で試練を乗り越えているはず。自分と闘い、壁と向き合っているという意味では皆変わらないと思います。私の演技を見て、少しでも励みになっていただけたらとてもうれしいです。
――東京五輪への意気込みを聞かせてください。
この一年、それぞれの大会への思い入れはありましたが、やはりその先には東京五輪という目標がありました。大きく自信もついたので、この勢いで五輪出場の夢を叶えたいです。
プロフィール
名前:喜田 純鈴(きた・すみれ)
学部:21世紀アジア学部2年
所属:新体操部(女子)
生年月日:2001年1月11日生まれ(20歳)
出身地:香川県
出身校:高松中央高校(香川県)
◆過去のインタビュー記事はこちらから
「目指せ!国士舘から世界へ」バックナンバー:
https://www.kokushikan.ac.jp/spokon/news/details_13190.html