作詞:柴田德次郎 作曲:東儀鉄笛
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霧わけ昇る陽を仰ぎ
梢に高き月を浴び
皇国に殉す大丈夫の
ここ武蔵野の国士舘 -
松陰の祠に節を磨し
豪徳の鐘気を澄す
朝な夕なにつく呼吸は
富嶽颪の天の風 -
区々現身の粗薪に
大覚の火を打ち点し
三世十方焼き尽す
至心の焔あふらばや
①国士舘舘歌の成り立ち -- 「ここ武蔵野の一義塾」
国士舘が創立する前の1917(大正6)年9月、「青年大民団」の「大民団歌」が作られました。これが舘歌の前身です。
青年大民団とは、創立者柴田德次郎ら青年有志らが集い、社会改良のために活動していた団体で、国士舘の前身にあたります。この大民団歌の歌詞はまったく異なりますが、曲は現在の舘歌に近い譜面となっています。
そして、1920(大正9)年3月、国士舘舘歌が作られます。しかしこのときの歌詞は、現舘歌とは異なっています。残念ながら楽譜が現存していないため、どのような歌だったかは不明です。
さらに1925(大正14)年、国士舘中学校が設置された頃には、現舘歌と同じ歌詞となりました。ただし、一番の最後が「ここ武蔵野の国士舘」が「ここ武蔵野の一義塾」という歌詞でした。その後、1953(昭和28)年頃に石川太郎によって楽譜に少し修正が加えられ、現在に至っています
②歌詞に込められた意味 -- 国につくす人、「国士」たるべし
歌詞内容の概略ですが、一、二番は、国士舘校地の優れた環境を、三番では建学の精神たる「国士」としての使命感を歌っています。なお、下に示した歌詞の意訳は、国士舘史資料室に所蔵される資料を参考にしています。この資料は、1971(昭和46)年頃に、学生に配布されたものです。
ちなみに、作曲者の東儀鉄笛は、有名な「都の西北早稲田の杜に...」ではじまる早稲田大学校歌の作曲者でもあります。
<歌詞意訳>
- 一、夜明けと共に、霧深い松陰神社の森から、朝日が昇るのを仰ぎ、夕刻には、松陰神社の森の梢に、高く出る月の光に包まれる。
貴い国である日本に、力を尽くす「国士」を養成するのが、この地にある国士舘である。
※建学当初、現在の世田谷キャンパス周辺(武蔵野)は、畑が多く民家も少なかった。周囲を見渡せば、他の障害物もないので、国士舘に居ながら日々、富士山を一望することができた。 - 二、国士舘の東に隣接する地には、幕末の志士吉田松陰を祀る松陰神社がある。国のために一身を捧げた吉田松陰の志を偲び、常に礼節を磨く。
そして、西に位置する豪徳寺では、朝・夕に鐘が鳴る。その梵鐘の音を聞けば、自然に心が静まり、読書し学問に励もうという意欲が湧き出るのである。
国士舘での一日は、富士の霊峰から吹きおろす清い風、澄みきった空気を胸いっぱいに吸い、その学生生活をおくるのである。 - 三、われわれは、宇宙の広大さから見れば、本当に小さく、薪のようなものであるが、その身体には躍動する生命がある。
国士舘の教育によって、心身を鍛え、その生命にともした大きな覚りの火を、世界へと広げていこう。
まるで「三世」(過去・現在・未来)と「十方」(四方・四隅・上下)、すなわち無限の時間と空間に、不浄なもの一切を焼き尽くす炎が、盛んとなり、広がっていくように。
国士舘で学ぶ学生・生徒は、至心の覚りをもって、世界の進展に尽くすのである。