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2024年01月16日

【卒業生奮闘 この人】プロ野球・阪神タイガース投手 岩崎優さん

 本学の17万人以上にのぼる卒業生は、社会に出てからさまざまな世界で活躍を見せています。この企画では、社会で奮闘する卒業生に国士舘で学んだことや現在の目標・夢などをインタビューし紹介します。

継続は力 地道に歩んで胴上げ投手

 38年ぶりとなる阪神タイガース日本一に沸いた令和5年。本拠地甲子園での日本シリーズ最終戦、守護神としてマウンドに上がり胴上げ投手になった選手がいます。本学卒業生の岩崎優さん(平成26年21世紀アジア学部卒)です。平成25年、阪神タイガースにドラフト6位で指名されました。学生時代から突出した選手でしたか?と聞くと本人は笑って否定しましたが…。知られざる学生時代について、話を聞きました。

<2023年12月27日取材>
10年ぶりに訪れた町田キャンパスで10年ぶりに訪れた町田キャンパスで

 

平成3年、岩崎さんは静岡県清水市に生まれます。幼いころ、ソフトボール選手だった母の練習でボール拾いをしたことがきっかけで野球に興味を持ったといいます。小学時代の文集には将来の夢に”プロ野球選手”と記しています。しかし野球を始めたのは中学から。そこには父親の慧眼がありました。「小学生の時は水泳を習っていました。野球がやりたかったのですが許してもらえませんでした。父も野球が好きで造詣が深かった。だからこそ、体がある程度成長するまでは取り組ませないことを決めていたようです。結果として体力や柔軟性が養われたように思います」。

中学に上がると念願の野球部に入り練習に明け暮れました。水泳で鍛えた体は躍動します。泥臭く、きつい練習にも根を上げません。「野球ができる喜びの方が大きかった」。当時を思い返しながらそう語ります。180cmを超える恵まれた体格、練習熱心で努力を惜しまない姿勢、選手としての伸びしろがコーチの目に留まり高校野球部への推薦につながりました。進学したのは、サッカーの強豪校としても全国に知られる清水東高校でした。

節目は、人に導かれて

不思議と、岩崎さんの人生には”導いてくれる人”がいます。

高校時代は静岡大会に先発投手として出場していますが、2回戦で敗退。甲子園は遠い存在でした。「甲子園は出場すること自体が難しい。目標をもっと先に定め、今日より明日、明日より明後日と、野球がうまくなりたい一心で練習を重ねました」。その姿に目を細めたのが高校野球部の監督でした。当時懇意にしていた国士舘大学野球部監督へ推薦してくれています。高校最後の夏が終わり、岩崎さんは言われるがまま国士舘大学の練習会に参加しました。「自分をよく見てくれている」と感じ進学することを決めました。

大学時代の節目にも導き手がいました。「とにかく野球を続けることを第一に考えていました。しかし実力も実績もプロに行くには到底足りないと考え、社会人野球に進路を絞っていました。お声がけいただいた企業もありました。しかし、大学の2年上の先輩で野球部のコーチをやっていた方に『やるならプロを目指せ、それでなければ意味がない』と指摘され翻意、プロを目指そうと決意しました。大学3年の時です」。監督に意思を伝えたところ、練習試合などをスカウトの方が訪れやすい日程などへ組み替えてくれたといいます。監督もまた、練習や試合時の姿勢、日常生活をしっかり見てくれていました。こうして、阪神タイガースのスカウトの目に留まることになります。

入団決定後にチームメートと撮った思い出の写真=本人提供、平成25年12月撮影、町田キャンパス野球場入団決定後にチームメートと撮った思い出の写真=本人提供、平成25年12月撮影、町田キャンパス野球場
一直線な大学生活

在学中はどんな学生だったのでしょうか。「真面目でしたよ」とハッキリ語る言葉に偽りはありません。4年間通ったのは町田キャンパスにある21世紀アジア学部。キャンパス内にある練習用グラウンドまでは徒歩3分、一直線のルートです。「世田谷キャンパスの学部生もいました。しかし、電車で鶴川駅に行き、そこからバスに乗ると、片道1時間はかかる。町田キャンパス内なら練習場所に一番近い。年末は寮が閉まるのですが、最後の日まで残って練習していました」。

学業にも余念がありませんでした。高校は地元でも進学校として知られており、補講などで大変だったといいますがコツコツと両立させました。大学でも単位は3年までにほぼすべて取得しています。21世紀アジア学部には、アジア諸国の言語と文化を学ぶプログラムや、華道、茶道、舞踊といった日本の伝統文化を理解するための科目も豊富です。第二外国語は韓国語を選択し、学部必修の韓国語学研修にも参加しています。「苦手な科目はありましたし、単位取得が大変に感じることもありました。しかし結局、何か一つでも”これはいいや”としてしまえば、野球にもどこかで甘えがでると考えていました。ただし優秀な成績、とまではいきませんでしたが」そう言って頭を掻く岩崎さん。

次々に現れる新しい気づき

実はプロの指名を受けた時、素直に喜べなかったといいます。「不安になり、夢なら良かったと思ったこともありました。覚悟を決めるまでに時間がかかりました」本人は当時をそう振り返ります。

プロ野球選手になって10年。その間にはうまくいかないこともありましたが、マイナスと捉えず次どうすればうまくいくかを具体的に考えていたといいます。そして、令和4年には野球日本代表として、東京オリンピックで金メダルを獲得しました。令和5年にセ・リーグ制覇、日本シリーズ優勝を経験します。冷静沈着な守護神としての地位を築きました。マウンドでは孤独だと感じてしまいがちですが、野球の魅力を「1つのボールを必死に追いかけて、仲間のためにアウトを狙う、ヒットを打つこと」と語る岩崎さんには、チームメートという鉄壁の守りが控えているようでした。

確固たる実績を積み上げている現在、目標を問うと次のように語ってくれました。「とにかく長く野球を続けることです。プロは一年の試合数が多い。当然けがのリスクは常にある。年齢を重ねた今は、体のケア、リカバーについて真剣に取り組んでいます。学ぶことが増え、取り組む項目も増えていく。一つ一つ丁寧に実践しているところです」。幼少期から今日に至るまで野球一筋、生活も意識も磨き続けてきました。そうして地続きの道を一歩一歩進んでいます。

楽しいと思うことは一日も長く

在学生に伝えたいことを聞きました。「今一番楽しいと思うことを継続してもらいたい。なんでもいい。1日、2日、1週間、1カ月、1年と続けてほしい。必ず力になるし、見てくれている人がいるはず」と語ります。

他者の期待に応えることは簡単ではありません。それを継続できるということは、結果を出し続けていることでもあります。それでも「特別なことは何もしていない」と語る岩崎さんから学べることは多いのではないでしょうか。

取材の最後、現役の硬式野球部員と室内練習場で触れ合う機会がありました。「ボールを磨いているか」。「あのトレーニング部屋は今もあるか」。終始コミュニケーションをとりながら後輩を慮る岩崎さん。取り組みすべてに緊張感を持つことの重要さを切々と語る姿が印象的でした。「野球の話なら何時間でも話せます。特に後輩には伝えたいことがたくさんあるので」。そう笑いながら話す姿に、岩崎さんを導いてくれた人々が重なって見える気がしました。

プロフィール

氏名:岩崎 優(いわざき・すぐる)

 

生年月日:1991年6月19日生まれ(32歳)
出身学部:21世紀アジア学部 平成26年卒業

出身地 :静岡県清水市

 

阪神タイガース所属

投手 背番号13

左投左打

 

 

過去のインタビュー記事はこちらから

「卒業生奮闘 この人」バックナンバー

https://www.kokushikan.ac.jp/news/other_details_16520.html

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