創立者 柴田德次郎
1890(明治23)年12月20日、福岡県に生まれる。
弱冠14歳で上京し、牛乳配達など苦学の末に早稲田大学専門部を卒業。在学時より同郷の頭山満、野田卯太郎、中野正剛らの知遇を得た。
創立者 柴田德次郎
1890(明治23)年12月20日、福岡県に生まれる。
弱冠14歳で上京し、牛乳配達など苦学の末に早稲田大学専門部を卒業。在学時より同郷の頭山満、野田卯太郎、中野正剛らの知遇を得た。

国士舘の淵源
青年大民団発足

1917(大正6)年、創立者柴田德次郎をはじめとする青年有志が集まり、「活学を講ず」の宣言とともに麻布区笄町(現港区南青山)に私塾「國士館」を創立した。
麻布に国士舘誕生
1917(大正6)年、創立者柴田德次郎をはじめとする青年有志が集まり、「活学を講ず」の宣言とともに東京麻布区笄町(現港区南青山)に私塾「國士館」を創立した。

世田谷の松陰祠畔に校地移転

国士舘は創立以来、国士舘教育の趣旨に賛同した政界、財界、教育界、新聞・言論界などの多方面の方々の強力な支援によって 支えられてきた。
なかでも、国士舘を支援する代表的な会として、大正時代の財団法人草創期には「国士舘維持委員会」が、戦後の学校法人草創期には 「国士舘大学維持員会」が大きな役割を果たした。
渋沢栄一らの支援
国士舘は創立以来、国士舘教育の趣旨に賛同した政界、財界、教育界、新聞・言論界などの多方面の方々の強力な支援によって 支えられてきた。
なかでも、国士舘を支援する代表的な会として、大正時代の財団法人草創期には「国士舘維持委員会」が、戦後の学校法人草創期には 「国士舘大学維持員会」が大きな役割を果たした。

初の卒業生が巣立つ

中学校の創設

専門学校の創設

短期大学の創設

国士舘大学の創立

鶴川校地の開設

多摩キャンパスの開設

福祉専門学校の創設

中央図書館の完成

梅ヶ丘校舎の完成

メイプルセンチュリーホールの完成
100周年記念事業の一環として健康とコミュニケーション、そして教育をテーマにした複合施設を建設。

メイプルセンチュリーセンター多摩の完成
