文学部の考察

編集部: 国士舘大学文学部には、どのような学びの特長があるのでしょうか?

 国士舘大学の文学部には、「教育学科」「史学地理学科」「文学科」の3つの学科があります。そして、教育学科には「中等教育課程教育学」と「初等教育課程初等教育」コースが、史学地理学科には「考古・日本史学」と「地理・環境」コースが、文学科には「日本文学・文化」コースがそれぞれ設置されています。学生たちは自分が選んだ専門領域を深く学ぶとともに、多様な広がりを持つ周辺領域との有機的なつながりを意識しながら、知の世界に親しむことができます。この中で私が教えているのは、史学地理学科の考古・日本史学コースで、古代、中世、近世、近代、現代とある日本の歴史の中で主に“近世史”を担当し、江戸時代の歴史を学生に教えています。

編集部: 先生はどのような授業をご担当されているのですか?

 私が受け持っているのは、ひとつは文学部の3年生以上を対象にした「日本近世史」という授業で、ここでは江戸時代の歴史を概説していきます。もうひとつは一般教養科目の「日本史A」という授業で、これは7世紀ぐらいから近代までの通史を教えています。特にこの授業で私がこだわっているのは、その時代に生きた“人”を取り上げることです。1世紀ごとに1人の人物にスポットを当て、その“人”を通してその時代に何が起きたのかを見ていきます。
 取り上げる人物は必ずしも有名な人ではありません。今日も授業があったのですが、そこで取り上げたのは「清九郎」というお百姓さんでした。実は、今から百年ぐらい前に近江の菅浦という村から、「菅浦文書」という1200点あまりの古文書が見つかったのです。「清九郎」はその史料の中にあった実在の人物です。「惣村」の形成というのが15世紀のテーマですが、当時を生きた「清九郎」の目を通して「惣村」の形成を見ていくと、史実のリアリティがぐっと増してきます。1人の人間の物語として、歴史をリアルに学び、理解することができるのです。
 また、源平の合戦をやったときは、遠江国(とおとおみのくに)から平清盛の息子に連れられて京に行った遊女の話を取り上げました。都で平家の繁栄を見た彼女は、後に故郷に帰って暮らすのですが、平家が源氏に敗れ、鎌倉に流されて行く途中、遠江国を通ったときに和歌を献じたともいわれています。こういうエピソードを中心に見ていくと、歴史は単なる史実の羅列ではなく、生きた人間の物語なのだということが分かります。

編集部: ゼミで、学生たちはどんなことを学んでいるのですか?

 ゼミの目的は、自分の研究を一冊の卒業論文にまとめることです。研究のテーマは各自で決めますが、毎年3年次の6月末までに卒論の計画書を提出することになっています。そこから自分で課題を見つけ、史料を探し、研究に取りかかっていきます。
 そのために、3年生のゼミでは史料の輪読をやります。読むものは学生たちに選んでもらいますが、それを使って史料を読み込む練習と、自分たちで課題を立てて、調べものをしていく方法を学んでいきます。卒論を書くためのスキルを身に付けるためですね。今年は「駿府記」という徳川家康の晩年の史料を読んでもらっています。漢文で書かれているのでけっこうハードです(笑)。でも、今の3年生は自主的に調べて、私が介在しなくても自分たちで積極的に議論を進めています。

編集部: 古文書はそう簡単に読めるものではありませんよね。
どうすれば読めるようになるのですか?

 考古・日本史学コースの学生は、入学した初年度に「史料学実習1」という授業があって、ここで基本的な読み方を1年間かけて学んでいきます。2年次には「史料学実習2」があり、これは私の担当ですが、古文書の調査のやり方を実際に体験しながら学んでいきます。史料を整理して、写真撮影をしたり、目録を作ったりしながら、いろんな論点を自分たちで見つけていきます。他にも、「国史学研究会」という部があって、ここでも古文書の読み方を勉強できます。この部では合宿に行って、実際に旧家の蔵に入って調査も体験できます。
 もちろん、簡単に読めるようにはなりませんが、7割ぐらいはすぐに読めるようになりますね。その7割を9割まで持っていくのか大変なんですが。でも、「史料学実習1」を受けた学生のうち、かなりの人数が、「史料学実習2」を取ってくれるので、関心はあるのではないかと思っています。少しでも読めるようになると、面白くなってくるんですよ。博物館や史料館に行ったとき、展示してあるものが読めるようになるから。学べば学ぶほど楽しくなってくるようですね。

編集部: 長野県に合宿に行ったとうかがいましたが、これは何を目的とした合宿ですか?

 それは3年生が参加する合宿で、卒業論文の研修を行うことを目的に実施しているものです。行程は2泊3日ですが、1日目の夜に卒論の書き方指導を行い、2日目の夜には各ゼミに分かれて卒論について話し合います。昼間の時間はいろいろなところを巡るのですが、今年は国士舘のOBが学芸員をやっているところに立ち寄りました。1日目は諏訪大社に行き、諏訪博物館で学芸員の話を聞き、2日目は松代に行って長野県立博物館で話を聞きました。実は、来年は私が担当することになっているんです。東海圏を回ろうかと考えているのですが、プランを全部自分で考えなければならないので大変なんです(笑)。

編集部: 先生は日本史の中で、どのような分野の研究をなさっているのでしょうか?

 私が主に研究しているのは「アジール」と呼ばれるものです。一般的にはあまり耳慣れない言葉だと思いますが、犯罪者や事情のある人が権力から追われ、逃げ込んでかくまってもらえるような場所です。そこの中に入ってしまうと、もう権力は手出しできない。駆け込み寺なんかは、典型的なアジールの例ですね。川越にある喜多院もその一例ですが、あそこには境内に向かう途中に「どろぼうばし」という橋がかかっていて、そこを通って泥棒が寺に入ると、追手はあきらめるしかありません。だいたいは寺院ですが、稀に神社がアジールになっているケースもあります。アジールという言葉はギリシャ語を語源としますが、日本では逃げ場所、隠れ家、避難所、いろいろに訳されています。

編集部: 浜松のお寺に調査に行かれたと伺っていますが、それもアジールの研究なのでしょうか?

 はい。浜松に龍潭寺(りょうたんじ)という寺があって、そこの史料を調べに行きました。僕はずっとこの寺を調査していますが、ここから出てきた戦国時代の古文書に、「悪党が『山林(さんりん)』と号して(叫びながら)逃げ込んだら、それ以上追いかけてはならない」と書かれているんですね。まさにアジールの典型です。ところが、この「山林と号して」の意味がよく分からない。この意味を私は調査しています。龍潭寺文書では江戸時代になっても、まだ「山林の者」という言い方をしています。山林の者は必ずしも盗賊を意味していません。些細な理由から人を殺めてしまった人や、火事の火元となって村八分にされた者、年貢が払えなくなった人などが龍潭寺に逃げ込んできます。そういう者たちが「山林をしている」あるいは「山林の者」などと呼ばれてきたわけです。
 もっと古くには、山の中に逃げ隠れるともう一切捕まらないという場所もありました。容疑者がそこにいると分かっていても立ち入れない。入ったら祟られるとして恐れられている場所ですね。過去に対馬を調査したことがありますが、あの島には「恐ろしどころ」と呼ばれる場所があり、誰も近寄ろうとしません。こうした山中の場所がアジールの原初的な形であり、それで「山林」と呼ばれたのではないかという説もあります。こういったことを私は龍潭寺で調査させていただいています。

編集部: 先生はいつ頃から、このような歴史の分野に興味を持たれたのですか?

 私が龍潭寺に初めて注目したのは、中学3年生のときです。実は、龍潭寺のある引佐(いなさ)という土地は私の生まれ故郷なんです。小さい頃から歴史が好きで、地元の歴史にも興味がありました。中学3年のときに、第二東名高速の計画が始まり、工事で山が潰され、景観が破壊されていくのを目の当たりにしました。それで歴史を大切にしないといけないなという気持ちが芽生えたのです。
 この引佐という場所は、井伊谷(いいのや)と言って、大河ドラマで有名になった井伊直虎の出た土地なんです。それで中学3年の総合的な学習の時間に、何か調べてみなさいと言われたので、龍潭寺に行って地元の井伊家の歴史を調査しました。龍潭寺のご住職とは、中学3年のその調査のときからずっと仲よくさせていただいています。そのつながりがあって、今でも調査を続けているのです。それが私の研究の原点ですね。

編集部: 今年9月に、国士舘大学として出雲大社に調査に行かれました。
これはどのような調査なのでしょう。

 この調査は、国士舘大学の藤森馨先生が取られた科学研究費によって行われるもので、私はお手伝いをさせていただくために同行しました。他大学の先生方も調査をしに来られました。調査に入ったのは出雲の北島国造家で、以前にも調査が行われていたのですが、蔵の中から前回の調査で洩れていた史料が大量に発見されました。箪笥の中にしまわれていた古い史料や、その写しです。9月6日から9日までの4日間、藤森先生を研究代表者として調査が行われましたが、いずれも重要文化財となるたいへん貴重な史料です。今後、どのような研究成果が出てくるか、楽しみにしています。

編集部: 最後にお伺いしますが、4年間の考古・日本史学コースの学びを通して、
学生たちにはどのような力を付け、社会に送り出したいとお考えですか?

 そうですね、私としては学生にはなんとか歴史に関わる職業に就いてほしいと思っています。ただ、現実には厳しい面もあります。学芸員になりたいと思っても、そもそも募集が少ないですから。
 しかし、考えてみると、本当はどんな仕事も歴史と無縁ではないんですね。たとえば、旅行業です。年配の人は歴史に興味のある人が多いので、歴史の知識があればかなり役立つと思います。出版界やメディアなども、歴史の知識は十分に役立ちます。ゲーム業界だって、歴史物を扱うゲームはかなり多いので、歴史に造詣の深い人は活躍できる余地があります。そう考えると、歴史を学ぶ可能性は大きく広がっていきます。だから、学生にはできるだけ早く自分の進路を決め、その分野に役立つ歴史を学び、研究するように言っています。
 たとえば、ファッション業界に行きたければ、ファッションの歴史を学べばいい。日本の古来から中世、近世、現代までのファッション史を研究して卒論にまとめれば、絶対就職に有利になります。公務員などはまさに歴史の知識が生きる職業ですね。地元の観光には歴史の知識が不可欠ですし、住民理解もその土地の歴史を通して初めてできるものです。また、史料を調べ、目録を作り、整理していくノウハウは、歴史に限らずどんな仕事に就いても役に立ちます。こう考えてみると、日本史の勉強は、実に応用範囲が広く、いろんな分野で活用できることが分かります。だから、できるだけ早い段階から将来やりたいことを見つけて、それと日本史の学びを結びつけてほしいのです。
 「歴史」というと、高校までの授業が頭にあって、年号の暗記や史実の羅列のイメージが強いのですが、大学の学びはまったく違います。歴史上の過去に起きたことも、当時の人にとっては現代の出来事なんです。だから、政治や経済、文化など、総合的に学んで幅広い知識を得る必要があります。その時代にどういう人がいて、何が起きたのか。誤った道を歩んでしまったとしたら、なぜ誤ったのか。その時の政府の対応がこうだったからこうなったとか、より深いレベルで考察することが大学の学びの魅力であり、意義だと思います。生きた歴史を大学で学び、それを自分の強みとして活かし、社会に出て活躍してほしいと思っています。

夏目 琢史(なつめ たくみ)講師プロフィール

●博士(社会学)/一橋大学 大学院社会学研究科博士後期課程修了
●専門/歴史学、アジール