文学部の立志"

編集部: 国士舘大学の文学部教育学科で、学生たちは何を学んでいるのですか?

 私が教えているのは、教育学科中等教育課程の中の「教育学コース」です。本コースの学びには大きく二つの特徴があって、一つは多様な教育職員免許状その他の資格が取得できることですね。具体的には、中学校社会科、高校地理歴史科・公民科、中学校・高校保健体育科、養護教諭の教育職員免許状の他、社会教育主事などの資格です。特に文学部で保健体育の教育職員免許状が取れるというのは珍しいことだと思います。
 もう一つは、人間形成に関連する幅広い学問領域を、専門的にかつ深く学べるということです。教育に関する専門科目はもちろんですが、体育やスポーツに関する専門知識を含めて、心と体をバランスよく育むさまざまなカリキュラムが組まれています。それぞれの学びの領域に専任教員がおり、少人数の演習(ゼミナール)を中心に、親身な指導を行っています。「教職課程・諸資格」と幅広い「専門」の学び、この二つを組み合わせることにより、自分らしい学びを行うことができます。

編集部: 先生はどのような授業を受け持たれているのでしょうか?

 私が受け持っているのは、教員になる上で必修となっている「教育行財政」をはじめ、「教育経営論」「教育法規」といった授業です。
 たとえば「教育経営論」で扱うのは、学校経営の問題です。公立学校なのに「経営」って、不思議に思われるかもしれませんが、90年代の半ばから、公立学校も経営感覚を持ちなさいと国が言い始めたのですね。校長のリーダーシップで、それぞれの学校が特色を打ち出すようにと。そして、これとセットで導入されたのが「学校選択制」でした。つまり各学校に特色を持たせて、それを選択できるようにし、競争原理を働かせて学校全体の質を高めようとしたわけです。
 先般話題になった“ブランド制服問題”も、「教育経営」の視点で見ると分かりやすくなります。あの小学校の校長先生は、他校と差別化するために、制服で特色を出そうとしたのです。でも、いくら選択制とはいえ、公立学校は憲法にある「教育を受ける権利を保障する」という役割を担っているので、そこまで平等性を欠いていいのかという議論にはなります。こういったことも題材に織り込みながら、授業を進めています。

編集部: 「教育法規」の授業では、どのようなことを教えているのでしょうか?

 「教育法規」では、今も言った憲法をはじめ、教職員になる上で必要となる法律的な基礎知識を学びます。
 例をあげると、ご存じかと思いますが、2013年に、大阪市のとある高校で生徒が体罰を受けて自殺するという事件が起きました。この事件で学校の体罰が大きくクローズアップされたのですが、そもそも本来、体罰は法律で禁止されています。「多少の体罰は許される」というのは、法律を知らない人の感覚です。確かに、その昔は少々の体罰はなんとなく許されるといった風潮がありました。でも、今は時代が違います。体罰は絶対にアウト。この授業では、これから教育の現場に出る者として絶対に知っておかなければならない法律の基礎を教えています。

編集部: ゼミではどのようなことを学ぶのでしょうか?

 ゼミでは、私が専門としている「教育法規」や「政策」のこと、「学校経営」などをテーマに学びを進めています。授業の進め方は、まず本を決めて、それをみんなで読み、内容をまとめて発表してもらい、討論するという形を取っています。これを少人数制でみっちりやります。今、私のゼミは3年生が5名、4年生が7名しかおりません。なので、非常に密度の高い学びができます。学生にとってはかなり恵まれた環境だと思いますね。
 それともう一つ、私のゼミには特徴があって、3年生と4年生が一緒に学んでいるのです。3年のゼミは3年生が主役で、4年生はオブザーバー的な存在。逆に4年のゼミは4年生が中心で、そこに3年生が加わって学びます。こうやって先輩・後輩の垣根を越えて学び合うことで、非常にいい効果が生まれています。そしてまた嬉しいことに、3・4年生の仲がとてもいいんですよね。先日も「先生、相談があるから」といって4年生に呼び出され、行ってみたら「3年生ともっと仲よくしたい」と言うんです。「もう仲いいじゃない」といったら、「いやいや、もっと仲よくなりたいんです」と。本当に羨ましいぐらいの仲のよさですね。

編集部: ゼミ合宿にも3年生と4年生が一緒に参加するそうですね。

 はい、3・4年が一緒になって合宿に行きます。なので、3年の秋と4年の秋の2回、ゼミ合宿に行くことになるわけです。私のゼミは基本的に社会科の教員免許取得を目指す学生が多いので、歴史や地理に関するところを見て回ります。去年は北海道の札幌と小樽に行きました。ちょうど雪が降っていたので、北大のキャンパスで雪合戦なんかしましたね(笑)。今年は九州に行こうかなという話になっています。
 ゼミ合宿の計画は、すべて3年生に任せています。これが結構いい勉強になるんですね。集団で物事を決めて、役割を分担して、責任を持ってやっていくという練習になるから。「あなたは宿係ね」とか、「4年生も一緒だし、女性もいるから」とか、そのあたりも配慮しながら計画を立てています。段取りとか手配とか、いろいろ気を使う必要があるので、いい学びになっています。

編集部: 教育学コースで学んだ学生は、将来どのような道に進むのですか?

 基本的には教員志望で入ってくる学生が多いのですが、最終的に教員の道を選択するのは3割ぐらいでしょうか。というのは、学部で教員のことについて学んでいくうちに、だんだんと自分の適性が分かってきて、別の道に進む学生が出てくるからです。でも、これはとてもいいことだと思っています。私は日頃から学生たちに、先生という仕事の大変さ、厳しさをあえて伝えるようにしています。先生になりたいなら、覚悟しなさいと。実際、教師という職業は、それぐらいの覚悟と使命感がなければやっていけない仕事なんですね。それでもなりたいというのであれば、その想いは本物だし、きっといい先生になれるだろうと思います。
 一方で、教員を目指さない学生たちにも、「教員免許だけは取っておいたら」と勧めています。一旦社会に出て、いろんなことを経験して、それから教師になりたいという思いが出てくることもあるからです。一度社会人を経験すると、人間に幅が出てくるので、それはそれでいい先生になれると思うんですね。だから、免許だけは取っておきなさいと。免許を持っていると、人生のいろんな可能性が開けてくると思います。

編集部: 先生はどのような分野を主に研究なさっているのですか?

 私の研究分野は「教育法学」ですが、中でも学校の事故や安全の問題を専門に研究しています。学校事故に関する過去の判例などを調べて、教育現場においてどこに課題があり、どう対策すればいいか、国レベルでいえば法改正の必要があるかといったことを研究しています。
 たとえば、現在研究しているのに、石巻市立大川小学校の津波訴訟があります。そう、東日本大震災のときに、児童たちの避難が遅れて津波の被害に遭った事故の訴訟です。あれは事前に津波への備えがなかったから、適切に避難できずに起きた事故です。学校の危機管理マニュアルで、いざ津波が発生したときにどこに逃げるか、校庭以外の場所を決めていなかったんですね。一審、二審ともに、学校側の賠償責任を認めましたが、上告して最高裁がどういう判決を出すかに注目が集まっています。

編集部: 大学で教える以外にも、いろいろ活動をされているとうかがいました。
どのような活動でしょうか。

 そうですね、いろいろやっていますが、一つは「日本教育法学会」という学会で研究委員会の事務局長を務めています。教育の法律や事故の問題などを研究する学会ですね。ちょうど明日から仙台で学会が開かれるので、大川小学校の現地を視察しに行こうと思っているところです。
 それから、ある市で起きた学校事故の調査委員会の委員長も務めています。この事故は今から4年前に起きたもので、図工の時間中に正門の外で生徒が絵を描いていたときに、車に轢かれてしまったのです。すぐに学校側が誠意を持って謝罪すればよかったのですが、当初の対応に問題があって、結局裁判にまで発展してしまいました。遺族が学校の対応に納得できなかったのですね。
 このような学校事故や安全に関する活動の他にも、世田谷区の「コミュニティスクール」の運営委員などもやっています。現在は、「烏山北小学校」の学校運営委員長と、同じく世田谷区の「烏山中学校」の学校運営委員を務めています。

編集部: 今、話に出た「コミュニティスクール」とは、どういったものでしょうか?

 「コミュニティスクール」は、学校を保護者や地域の人と一緒に運営して行きましょうという制度で、学校の運営形態の一つと考えていただければいいでしょう。公立小学校や中学校の中に、「学校運営協議会」という組織を置いて、定期的に会合を開き、年間計画とか運動会等の行事などについて話し合い、みんなで決めていきます。
 「コミュニティスクール」が誕生した背景には、なんでもかんでも学校内で運営していくのは大変だという事情がありました。いじめの問題一つ取っても、すべてを学校に押しつけるのは無理があります。そこで90年代半ば以降に「開かれた学校づくり」ということが言われるようになり、全国でコミュニティスクールを増やす方向に向かっています。
 「開かれた学校づくり」にはもう一つ、学校と社会の距離が縮まるという利点があります。いままでの学校の学びだと、一所懸命勉強して、それが社会の何につながっているかということが、いまひとつ不明瞭でした。そこで、学校を“開かれた組織”にして、地域の人や保護者の出入りを活発にすることで、学校と社会のつながりを深めようという狙いがあるのです。世田谷区はかなり先進的で、公立小中学校のすべてがコミュニティスクールの形態で運営されています。

編集部: 先生はなぜ教育学の研究者になろうと思われたのですか?

 私ですか? 私は、小・中学校時代がとても楽しかったので、子どもの夢として「学校の先生もいいな」と漠然と思っていました。でも、高校へ進学すると、教員になるという想いは薄れていきました。ただ、歴史や地理、法律といった社会系の科目に興味があったので、何かしらその方面の学部に行きたいなとは考えていました。
 大学に入っても教員になるつもりはなかったのですが、父親に「教員免許だけは取っておけ」と言われたんですね。自分では免許を取るつもりはなかったけれど、「ま、父親がそこまで言うなら」と思い、教職課程を取りました。そこで行った教育実習が、結果的に私の人生を決めるきっかけになりました。
 というのは、実習で行った中学が非常に荒れていたんです。で、校長先生が私に「生徒とあまり接しないでくれ」と言ったのですね。でも、実際に子どもたちと接して話してみると、彼らにもそれなりの言い分があった。いや、むしろ学校の対応の方に私としては疑問を感じてしまいました。その経験から、もう少し教育を学んでみたいと思い、大学院に進んだわけです。そんないきさつがあるものだから、今でも学生たちに「教員免許だけは取っておきなさい」と父親のように勧めているわけです(笑)。

編集部: 最後になりますが、教育学科の学びを通して、
どのような人間を育てたいとお考えですか?

 まずは、「芯」のある人間になってほしいと思います。大学で学んだこと、経験したことを踏まえて、自分の考えを持ち、信念を持って行動できる人ですね。でも、同時に、柔軟性もあわせて身に付けてほしい。人間としての軸を成す「芯」と、幅広い「視野」、両方を兼ね備えた人ですね。
 私のゼミは教員志望の者の他に教員免許を取らない学生もいます。この前も、ゼミの学生が、就職が決まったにも関わらず、「どうしてもなりたい職業がある」と言って実家に戻り、親を説得してきたと言うのです。自身の将来を自ら決定し行動できたことは素敵なことではないかと思います。私から見ても「かっこいいな、おまえ」って思えるような学生でした。
 このように「芯」がありながら、幅広い「視野」で物事を見て、柔軟に判断できる人間に育っていってほしいと願っています。そして、国士舘大学文学部の教育学科には、そういう人間に育つための環境が整っていると私は思います。

堀井 雅道(HORII Masamichi)准教授プロフィール

●修士(文学)/早稲田大学人文科学研究科 教育学専攻 修士課程修了
●専門/教育行政学