文学部の深化

編集部: ご専門の日本書道史とは、どんなものですか?

 わが国の古代の書がどのような発達と変遷を経て、完成に到達したか、その後どのような変遷を繰り返したかについて理解してもらうものです。授業では、わが国の書の歴史が始まったと考えられる飛鳥時代から入りまして、書の発展が頂点に到達した平安時代に最も重点を置きながら、平安時代の書を継承した鎌倉時代、南北朝時代、室町時代あたりまでを取り上げております。主に文学及び美術と書との関係を考えながら、書の展開のあとを解明していきます。
 私のライフワークである空海の書の研究、最澄の書の研究のテ―マも、日本の書の歴史の研究のごくごく一部なんです。

編集部: 以前、最澄の書状の写しといわれていたものが最澄の真筆であると、先生は断定されましたね。

 それは、2001年9月のことです。高野山の金剛峯寺所蔵の『伝教大師最澄書状案』という最澄の書状が残されていて、それを拝見いたしました。最澄が空海から真言密教の儀式を受ける際に、平安京にいる貴族、藤原冬嗣に潅頂を受けるのに必要となる資財を調えてほしいという助成要請するための書状です。この書状には「案」という字が付けられています。「案」は「写し」の意で、ずっと長い間、これは最澄の書状を写したものと考えられていたのです。ところが私が原本を拝見し、直ぐに最澄の真筆と確信したのですが、更に、慎重かつ入念に調べを重ねたところ、最澄本人の真筆に紛れもないものであることがわかったのです。

編集部: どうやって最澄本人の書だと分かったのですか?

 「『伝教大師最澄書状案』の解説」や図録に収められた図版解説に「その(『伝教大師最澄書状案』)筆跡は最澄の自筆を極めて忠実に写した平安時代中期の模本」とあることに疑念を持ったからです。そして半年ほどかかって一点一画、一字一字行を追いながら書状案と世にある最澄の真筆として確かなものと突き合わせて、字形、用筆の比較や行頭の高さの変化、筆順、紙質などさまざまなことを注意深く書く丹念に調べていき、最澄本人でなければ書けない書法上の特徴を検出できたからです。
 ただここで気を付けなければならないのは、筆跡は、たとえ同じ人が書いても時と場合によって大きく変わることがあるということです。いま、あなたが私の話していることをメモしていますね。メモは急いで書くので誰が書いても走り書きのような書きぶりになりますが、人の眼に触れることを意識して書いた提出物、書類などはきちんと丁寧に、字形を整えて書くでしょう。それは現代のわれわれも昔の人も同じなんです。また、爽やかな時に書いたものと体調や気分のすぐれない時とでも違いがでます。時間の経過によっても、使う筆や紙の違いによっても違いがでます。そういう中から変化しない本人でなければでない特徴があります。それを摘出するのです。こういったことまで幅広く注意して見ていかないと大変な見誤りをしてしまいます。

編集部: 書の書かれた状況を考慮に入れるということですね?

 その通りですね。そして、こういった見方をしていると、面白いことに、いままで見えなかったものが見えてくることがあります。どういうことかといいますと、書状案の話とは変りますが、例えば、ここに『紫式部日記絵巻』があります。場面は、紫式部が中宮彰子に、白楽天の詩集である『白氏文集』巻3・巻4を進講しているところです。
 そもそも絵巻物の場面だから、広げられたテキストの中身までは描かれていません。もちろん拡大鏡で見ても点点が見える程度で何も見えません。でも、歴史的な背景を読み解いていくと、このように、どんな書体で、どのくらいの文字の大きさで書かれていたのかがわかるのです。さらに、筆者が誰であるのかも推定することも可能なのです。

編集部: それはどういう意味ですか?

 この時、中宮彰子は妊娠7か月目に入ったころで、胎教を始める良い時期といわれています。この場面の場所は、公の場ではなく、中宮の両親の実家である道長の邸宅つまりプライベートな場です。紫式部が選んだ「新楽府」の2巻は、詩よりも音楽的要素が強く、平坦なメロディーのごく歌いやすいもので、胎教の実用的効果のあるものといわれています。紫式部は、将来帝の位に就かれるかもしれない生まれてくる皇子のために、胎教に最適のテキストを選んだのでしょうね。
 当時の貴族社会は、母方の親が、女子の教養に力を注いでおりました。妃の地位にある女子、あるいは将来妃の地位につくような女子には、優雅な筆跡で書かれた美しい和歌・漢詩の写本を与えることが日常よく行われていたのです。げんに、道長は中宮が実家から内裏に帰る際に、藤原行成や行成に次ぐ書の名人に命じて、名家の歌集の新写本を中宮に献上しています。胎教という考えは、人間形成の第一歩として古くから重要視されていました。そこで私は「道長が中宮の胎教にふさわしいテキストを書かせるとしたら、誰に書かせるだろう・・・」と考えてみました。藤原行成という人の名が、直ぐに浮かんできます。それは、行成は当時第一の書の名人として尊重された人で、道長のためによくつくしておりますし、また、行成は道長にかわいがられ、何かにつけ道長に命ぜられていろいろなものを書写しているからです。さらに、場面に描かれている二巻の講義用テキストは、手習の手本用に書かれた書と比べて文字の字粒も小さく、一行に入っている文字数も多いのです。つまり絵巻物の場面に描かれておらずに見えないものでも、「中宮彰子の進講用のテキストには、こんな感じの文字が書かれていたに違いない」ということが、周辺の学問を勉強することによってわかってくるのです。
 見えないことが見えてくるというのはそういう意味です。

編集部: 驚きました。書の研究というより、歴史推理を聞いているようです。

 面白いでしょう。この面白さを、学生にわかってもらいたいのですね。なかなか難しいですが(笑)。私は小さい頃から、書道と絵が好きで、両方学んできました。大学時代までは実技中心にやってきましたが、大学院に入ってからより書を深める中で、書の歴史と書の周辺のことを学ぶ必要性を痛感いたしました。そして、さまざまな史料や文献を見たり、調べていくうちに、新たな事実や疑問点にも出会い、書の歴史や書の周辺の研究の面白さに魅せられていったのです。更に、自分が研究することにより、新たに先学の研究に光を当てることもできるのではと確信し、研究の重要性も見いだせたのです。古筆の真の筆者を導き出すためには、主観を遠ざけ、客観的に観察する必要があります。自分が書の創作活動をしていると、どうしてもその客観に曇りが生じてしまうんです。今は研究に専念するようにしております。

編集部: 学生に教える上で、何か工夫はなさっていますか?

 私自身、視野を広げる意味で、博物館や美術館によく出かけますが、学生にもそれをすすめています。また、とにかく本物に触れてほしいので、いろいろなものを持ってきて、授業で見せています。例えば、平安時代の貴族が使っていたと考えられる硯ですとか、古筆や写経、墨や紙などです。また、平安時代には、松の木を燃焼させて作った煤をにかわで固めて作った松煙墨が使われていましたが、のちに油煙墨が使われるようになりました。油煙墨はいつ頃から使われたかわかりませんが、室町時代にはすでに造られていたことが公家の日記に書かれています。松煙墨で書かれた古筆と油煙墨で書かれた古筆では、よく見ると墨の色、墨色の輝きが違うんですよ。このように墨の色や、使われている紙や筆の構造、また紙をどのようにして使っているかなどからも、さまざまな事実が読み取れるのです。また授業では、学生には双鉤填墨(そうこうてんぼく)といって、昔の書を原本の点画の輪郭を細い線で書き写し、原本を書いた筆が動いた通りに墨を入れてもらい、墨の濃いところは濃く写し、薄いところは薄く写し、かすれたところはかすれたように、原本と同じように本当に書いた通りに写すという作業をやってもらっています。細い筆で文字の輪郭をなぞり、中を墨で筆が動いた通りに墨を入れ、汚れや紙の破損痕、虫喰いのあとまで写すので、原本と紙一重のもので、とてつもなく根気のいる作業です。実はこれ、非常に貴重なことなんです。一度体験すると書だけでなく、物を見る世界が変ります。昔は写真もコピーもなかったので、双鉤填墨によって伝えられてきたものがあります。
 例えば、奈良時代には唐から伝えられた双鉤填墨本がたくさんあったのですが、現在は『喪乱帖』『孔侍中帖』『妹至帖』の三点のみです。いずれも王羲之の書状です。この三点は『東大寺献物帳』に見えている「書法廿巻」(865行)の一部といわれています。716年16歳の時、皇太子首(おびと)皇子(聖武天皇)が藤原不比等の女安宿媛(あすかべひめ、光明皇后)を妃とされた時、皇太子から安宿媛へ結婚の約束のしるしとして王羲之の書法を贈られたんです。それは王羲之の真跡の双鉤填墨本で、真跡と同じようなものです。現在は結婚の約束として指輪を贈りますよね。それと同じようなものですね。

編集部: 書の学びを通じて、学生に何を会得してほしいとお考えですか。

 学生たちには、文化を引き継ぐ者として、古代の書がどのような発達と変遷を経て、現代まで到達してきたかを知ってほしいですし、さらに、昔の書と今の書の違いの理解を深めて、新しい現代の書を創始する基礎を身につけてほしいと思っています。そしてまた、人生を豊かに過ごしてほしいですね。豊かさとは、心の豊かさです。同じものを見ても、表面だけをみるのではなく、その奥、その先を見つめる心が大切です。古筆の研究でもそうですが、書だけを見ていては、見誤ることがあります。その書の書かれた時代背景や、そのときの状況など、幅広い視野に立って物事を眺めると、見えなかった事柄が見えてくるようになります。先入観にとらわれず、発想を変えても見ると、考えもしなかったような新しいことを思いつくことがあります。こういった、いろいろな角度から物を見たり考えたりする力は、社会に出てから必ず役に立ちます。書の学びを通して、そうした柔軟な物の見方、考え方を身につけ、実社会で活躍できる人間になってもらいたいと考えています。

細貝宗弘(ほそがい そうこう)教授プロフィール

●東京教育大学(現・筑波大学)大学院修了、芸術学修士
●専門/日本書道史、古筆学

掲載情報は、
2010年作成時のものです。