国士舘大学体育学部体育学科で学んだ松本さんは、卒業後にフルーツの販売会社に就職。その後、恩師の古田先生に誘われ、国士舘大学ラグビー部のコーチに就任します。ラグビーリーグワンのチームでアナリストの仕事をしたり、自治体のスポーツ推進委員を務めたり。「30才までにいろんな仕事を経験し、それから学校の体育の先生になりたい」という松本さん。指導教員の古田先生との対談を通して、体育学部の学びの魅力についてご紹介します。
体育学部の学びについて
- 編集部
- 古田先生にお訊きします。学部長としてのお立場から、体育学部の学びの特徴について教えていただけますか?
- 古田
- 体育学部の学びの特徴は、目標設定が明確だということですね。将来の進路がはっきりしている。分かりやすいんですよ。
- 編集部
- たとえば、どんな進路がありますか?
- 古田
- 体育学部には全部で4つの学科があり、それぞれ特徴的な学びを行っています。私が教えている体育学科は、中学校・高等学校の保健体育の教員を目指す「学校体育コース」、世界レベルの競技者を養成する「アスリートコース」、トップアスリートを支えるスポーツトレーナーを育成する「スポーツトレーナーコース」に分かれています。トップアスリートを目指す、トレーナーを目指す、体育の教員を目指す、学生は明確な目的意識を持って学んでいます。
- 編集部
- その他には、どのような学科があるのですか?
- 古田
- 一つは「武道学科」で、柔道・剣道・空手道の3つを柱とした教育を行っています。空手は※1この前、日本一になりましたね。オリンピックを目指せるすごい選手が集まっています。もう一つは、「こどもスポーツ教育学科」です。ここは体育が得意な小学校の教員の養成を目的としています。そして、最後は体育学部としては珍しい医療系の「スポーツ医科学科」で、救急救命士の養成に力を注いでいます。救急救命士の合格者もトップクラスですよ。定員150名の内※2140名が、国家資格に合格しています。
※1 第51回全日本空手道選手権大会 女子 個人組手 優勝
第2回全日本空手道団体形選手権大会 男子団体形 優勝(在学生・ OBらが群馬県として出場)
※2 第47回救急救命士国家試験 教育施設別合格者状況 - 編集部
- なるほど、社会への出口が明確なんですね。民間の会社に就職する学生もいるのですか?
- 古田
- もちろん、民間の一般企業に入る学生もたくさんいます。他には、警察官や消防官など、公務員になる人も多いですね。スポーツを頑張ってきた学生は、社会で高く評価されるので、就職に強いんですよ。
- 編集部
- 体育学部に入った学生は、みんな部活動をするのですか?
- 古田
- みんながみんな強化クラブに入るわけではありませんが、部活動をする学生は多いですね。国士舘大学の体育学部の特徴の一つに、卒業までに必要な124単位の中に、中学校・高等学校の保健体育の教員になるための授業も含まれていることが挙げられます。スポーツ医科学科は例外ですが、他の学科の学生は教職を目指しながら、部活動をすることができます。
- 編集部
- 部活と教職課程の両立がしやすいということですね。
- 古田
- そうですね。これは国士舘大学の体育学部の特徴だと思います。
- 編集部
- 松本さんは、体育学科の卒業生ですよね。部活はラグビー部でしたか?
- 松本
- はい、ラグビー部でした。古田先生がコーチをなさっていた時代で、いろいろ教えていただきました。
- 編集部
- ラグビーを始めたのはいつですか?
- 松本
- 僕は高校時代からです。父親が高校の体育の教員をやっていて、ラグビー部の監督だったので、その下で3年間ラグビーをやりました。
- 編集部
- お父さんが、自分が通っている学校の先生だった?
- 松本
- そうなんです。ラクビー部の監督で。父親の姿を見て憧れていたので、僕もいつかは教員になりたいと思っていました。
- 編集部
- 国士舘大学の体育学部を選んだ理由はありますか?
- 松本
- ラグビーをやっていて、将来は学校の教員になりたかったので、そういう目で大学を選びました。いくつか候補はありましたが、自分の父親も国士舘大学の卒業生なので、最終的に国士舘大学を選びました。
授業で学んだこと
- 編集部
- 大学ではどんなことを学びましたか? 印象に残っている授業などありますか?
- 松本
- 大学の授業で印象に残っているのは二つあります。「スポーツ情報処理論実習」という授業と、あとは1年生のときにやった基礎ゼミです。どちらも教えてくださったのは古田先生でした。
- 編集部
- スポーツ情報処理論実習では、どんなことを学ぶのですか?
- 松本
- 覚えているのは、テニスボール3個を使ってジャグリングをやるという授業です。2人でペアになって、各自で動画を撮って、動作分析みたいなことをやります。普通、ジャグリングなんてできないじゃないですか。なんで上手くできないのか、どうすれば上手くできるのかを、映像を見ながら考えるんです。
- 古田
- 目的は、虎の巻を作ることです。どうやったら初めての人でもジャグリングができるようになるかの。学生も初めてなので、3つ目のボールが上手く取れないんですよ。お手本のビデオを流しながら、自分たちの映像と見比べて、何が原因でできないのかを突き止めていくんです。そうして45分間で、初心者でもジャグリングができるようになるためのマニュアルを作ります。映像を見て、失敗の原因を見つけ、誰でも上手くできるようにする。これはスポーツのコーチングの一つの手法なんですね。
- 編集部
- 他には、どんな授業が印象に残っていますか?
- 松本
- もう一つは、1年生のときに受けた基礎ゼミの授業ですね。
- 編集部
- 基礎ゼミでは何をやるんですか?
- 松本
- 人生設計です。入学して最初にやる授業です。
- 編集部
- 人生設計ですか。面白そうですね。
- 松本
- はい。これから自分がどう生きるかをイメージして、人生設計を作るんです。古田先生には60才で終わるなよと言われましたが、僕は60才で終わってしまいました(笑)。
- 編集部
- 60才で終わる? それはどういう意味?
- 古田
- この授業では学生に、これからの人生をどう生きたいか、それをイメージして事細かに書いてもらいます。大学を出てからどこに就職をして、何才ぐらいまでに何をやって、それからどうするみたいなことですね。自分が亡くなるまでの人生について書いてねと言うんですけど、学生は面倒くさくなるみたいで、途中で事故死とか書くやつがいるんですよ。だから最低でも60才ぐらいまでは書いてねとお願いしています。統計的に、人はそんなに早く死なないので。
- 編集部
- なるほど。で、松本さんは、どんな人生設計を書きましたか?
- 松本
- 僕は30才までは定職に就かないで、いろんなところで働いて、経験を積みたいと書きました。そして、30才から47才ぐらいまでは学校の体育の先生になって、子どもたちを教える。その後は仕事を辞めて、田舎みたいなところに住んで、農業をしながらのんびり過ごす。そして、60才で亡くなる、みたいな感じでしたね。
- 編集部
- 60才って早くないですか?
- 松本
- いや、別に60才じゃなくてもいいんですけど、20年ぐらい仕事をして、残りの20年ぐらいを農作業とかしながらのんびり暮らせたらいいなと思って。
- 古田
- 面白いよねぇ、きみは。
- 編集部
- 人生設計を作る意味はどこにあるのでしょうか?
- 古田
- これはコーチ学の授業で今もやっていますが、要するにセルフイメージを作るということなんです。自分はどうありたいかという。成功の方程式というのがあって、成功するためには才能と努力が必要ですが、努力の中にセルフイメージというのが大事だと言われています。どうなったら成功なのか、分かってない人の努力は、無駄になることが多いんですね。
- 編集部
- 成功するためには、目標設定をすることが大切ということですか?
- 古田
- そうなんです。目標が定まれば、そのために何をするかというのは自動的に出てきます。自分がホームランを打ちたいとイメージしていない人が打ったホームランは、ただのまぐれです。プロ野球選手は、イメージ通りに打てましたと言うでしょう。なぜかというと、頭の中でメンタルリハーサルができているからです。一度成功しているんですよね、頭の中で。これができていない人は、そう簡単にはホームランは打てません。これがセルフイメージです。
- 編集部
- なるほど、まずは目標の設定が大事だと。
- 古田
- 自分がどうなりたいか、それを本人と一緒になって決めてあげるのがスポーツコーチの仕事です。それが決まれば、あとは勝手に成長していきますので。その作業を大学生になった最初の授業でやります。学生は将来、人にアドバイスをする立場になるので、まずは自分の人生のセルフイメージを作りましょうということをやります。そうなりたいと思って書くと、不思議とそうなるんですよ。面白いことに。
ラグビーから学んだこと
- 編集部
- 古田先生は、いつからラグビーを始めたのですか?
- 古田
- 僕もラグビーは高校から始めました。国士舘大学のラグビー部に入って、卒業後は三洋電機に入ってプレーしました。現在の埼玉パナソニックワイルドナイツですね。
- 編集部
- その後、筑波大学の大学院に進まれますよね。
- 古田
- はい、三洋電機でプレーしながら、コーチ学を学びに大学院に通いました。ただ、選手と大学院の両立は時間的に厳しかったので、途中で選手を辞めて、チームのコーチ業と仕事をしながら勉強に専念しました。
- 編集部
- 日本代表のコーチに就任されたのは、いつですか?
- 古田
- 日本代表のコーチになったのは2005年です。アナリストとして、先ほど言ったような映像コーチの仕事をやりました。その後はU20(20才以下)の代表コーチに就任しました。そのときのキャプテンがリーチ・マイケルでした。しばらくU20でお世話になった後に、2010年に国士舘大学に奉職しました。
- 編集部
- 松本さんが国士舘大学に入学したのは、ちょうどその頃ですか?
- 松本
- 僕が入学したのが2013年だから、先生が国士舘大学で教えるようになって3年ですね。
- 編集部
- 先生から見て、当時の松本さんはどんな学生でしたか?
- 古田
- 松本くんは、スタンドオフとかハーフとか、いちばんボールに触る機会の多いポジションにいました。ゲームを作る役割の選手ですね。だから、彼にはいろいろ無理難題を出しましたよ。自分で考えてもらいたかったので。お前分かってるよなと、謎解きみたいなことばかりをしていましたね(笑)。
- 編集部
- 謎解きですか?
- 古田
- はい。紙にサインプレーみたいなものを書くんです。この絵の通りにできたら、きっとトライが取れるよね、みたいなのを書いて、それを松本くんに手渡して、来週やりますからよろしくみたいな(笑)。
- 松本
- そうなんです。人の立つところと、矢印みたいなものだけが紙に書いてあって。次の練習のときにこれをやるからよろしく、みたいな感じですね。その1枚の紙から先生の意図を読み取って、どうやったら次の練習でできるかをチームのみんなで考えるんです。で、実際にやってみると上手くいかない。先生の意図を読み切れてなかったってなるんです。
- 古田
- そうそう。お題を出すと、寮でミーティングをして、みんなちゃんと考えるんですよ。それで実際やってみると、全然違う。で、怒られるという、松本くんはそういう役回りです。ただ、最近、彼が国士舘大学のチームで教えているのを見ていて、僕としては若干、気恥ずかしくなることがあります。コーチとして、僕がやっていたことと同じことを学生にやっていますので(笑)。
- 編集部
- 松本さんから見て、先生はどんな先生でしたか。厳しい指導者でしたか?
- 松本
- いえ、まったく厳しくなかったですね。たぶん、僕ら卒業生は先生が怒ったところを見たことがないんじゃないですか。悪いことしたら怒られるけど、それ以外で怒られたことはありません。
- 編集部
- それは意外ですね。厳しくせずに、どうやって選手を育てるのですか?
- 古田
- それは内省です。ひたすら内省を促すだけ。これが究極です。そうじゃないと意味がない。
- 編集部
- 選手が自分で考えるということですか?
- 古田
- 受信するアンテナが機能していない人には、何を言っても無力でしょう。受信するアンテナの感度をよくすることしか、指導者にはできないんですよ。まさにコーチングですね。コーチングではアドバイスを最後までしません。自分がなぜできないのか、何をしなきゃいけないのか、明日から何をするのかということを、全部その人の言葉で言ってもらうんです。質問を投げかけて、答えをその人から引きだす。
- 編集部
- なるほど、自省を促すわけですね。
- 古田
- そう、コーチングとは、究極は内省の探究なので。人は確かに、怒られたら走りますよ。怒る指導の方が、手っ取り早いんです。でも、これは長続きしません。なぜかというと、ずーっと怒り続けてなきゃいけないから。そのうち選手も慣れてきて、見てないところでサボるようになります。そうなったら無意味でしょう。
- 編集部
- 内省の探究ですか。深いですね。
- 古田
- もちろん勝つためには、覚えなきゃいけないこともあります。そういう場合は、ティーチングと言って、教えることもします。強くなるためには、やるべきことも出てきます。ただ、それを自分たちでスイッチを押してやれるか、やれないか、という話なんですね。
これからの人生
- 編集部
- 松本さんは大学を卒業して、どうされました。すぐにラグビーのコーチになったのですか?
- 松本
- いえいえ、卒業して1年目は普通に会社に就職して、フルーツを売っていました。
- 編集部
- フルーツですか?
- 松本
- はい。福島に本社のある会社に就職して、半年間は百貨店でフルーツを売って、半年間は市場で買い付けをやっていました。
- 編集部
- その後はどうされました?
- 松本
- フルーツの会社は1年だけで、翌年の5月に、古田先生からお声がけをいただき、国士舘大学のラグビー部のコーチになりました。
- 古田
- コーチのオファーをしに行ったら、その場で「いいですよ、行きますよ」って言うんですよ。軽いですよね。びっくりしました。いや、もう少し考えた方がいいよって、こっちが言いたくなりましたね(笑)。
- 編集部
- 東芝ブレイブルーパス東京でもゲーム分析のアナリストをやっているとお聞きしました。こちらも古田先生の紹介ですか?
- 古田
- 最初U20でアナリストを探しているから、松本くん、ちょっと行ってきたらと言ったんです。それでU20の合宿に参加したと思ったら、今度は東芝から映像コーチの話が来て、1人いいのがいますよって紹介したんですよ。そうしたら、いつの間にか監督の後ろでテレビに映ってるわけ。調子に乗るなよって思いますよね。冗談ですけど(笑)。
- 松本
- 他にも古田先生からの紹介で、多摩市のスポーツ推進委員をやったり、三鷹市の小学校のタグラグビー教室で教えたりと、いろんなことをやらせていただきました。
- 古田
- 今後はどうされるんですか?
- 松本
- 基礎ゼミの人生設計で書いた通り、30才ぐらいで教員になりたいと思っています。そこはずっと変わっていません。
- 編集部
- 中学校・高等学校の体育の先生ですね。
- 松本
- そうです。学校の先生になる前に、いろんなことを経験しておきたいと思ったので、まずはフルーツを売る会社に就職しました。先生が就職したことがないのに、生徒に就職活動の話なんてできないじゃないですか。今まで触れたこともない世界、スポーツ以外の仕事に一度は就いてみようと思って。甘いものが好きだということもあるんですけどね(笑)。
- 古田
- 面白いでしょう、この人。深いのか浅いのか、分かんないですよね(笑)。
- 松本
- 今29才なんですが、人生設計で書いたとおり、30才で教員になりたいと思っています。体育の先生になって、ラグビーを教えたいですね。
- 古田
- リーグワンの試合を監督の隣で分析しながら見ていた体育の先生なんて、いないですからね。楽しみですよ。
- 編集部
- 学校で生徒を指導するうえで、コーチングで学んだことも役立ちますよね。
- 古田
- そうですね。ゲームの勝ち負けなんていい加減なもので、たまたま勝つこともあるんですよ。でも、負けにはちゃんとした理由があって、だから、子どもたちにはある程度の安全性を担保して、失敗させることが大切なんです。それが指導者としての僕らの仕事です。失敗の中から何を学ぶかということの繰り返しですね。
- 編集部
- ラグビーから学べることは多いですね。
- 古田
- そう、ラグビーは一つの手段であって、人間的に成長することが大学で学ぶことの意味なんです。失敗からどう学ぶか、うまくいかないときにどう歯を食いしばれるか。そういうストレス耐性みたいなものを学んでいるから、国士舘大学の体育学部を出た学生は、就職に強いんだと思います。これから大学を目指す子たちには、大学でスポーツを学ぶことの価値をぜひ知ってほしいですね。どの分野でも、どんな仕事でも、間違いなく役に立ちますから。
- 編集部
- スポーツを通して、人間として成長するわけですね。今日はありがとうございました。
古田 仁志(FURUTA Hitoshi)
国士舘大学 体育学部 体育学科 教授 体育学部学部長
●修士(コーチ学)/筑波大学 大学院 体育研究科 コーチ学修士
松本 晃宏(まつもと あきひろ)
2016年度 体育学部卒業
国士舘大学ラグビー部専任コーチ
掲載情報は、2024年のものです。