体育学部の使命

編集部: 国士舘大学のスポーツ医科学科は、何を学ぶための学科ですか?

 体育学部のスポーツ医科学科は、4年生大学としてわが国で初めて、救急救命士を養成する学科として2000年4月に設置されました。この学科で学ぶ第一の目的は、「救急救命士」という国家試験の受験資格を取得し、国家試験に合格して救急救命士になることです。「活学」の国士舘大学を代表する極めて専門性の高い学びを行う学科といえます。
 したがって、教育スタッフは経験豊かな専門医師や消防機関出身者などで、医学部と同様に解剖学、生理学などの基礎医学から、救急医学、脳神経外科学、内科、外科などの臨床講義を行い、さらに救急救命士としての救急の現場を想定した実践的な実習や、最新の救急医療機器を利用した実習などを行います。また、関東一円の医学部付属病院の救急救命センターや東京消防庁などの協力を得て、病院内での実習や、救急車同乗実習、LAの海外実習など、幅広いカリキュラムを用意しています。学生諸君にとっては厳しく、ハードな学びの日々になると思いますが、それだけやりがいのある、充実した学生生活を送れるものと思っています。

編集部: 学部の他に、より専門的な研究をする大学院もありますね。
これはどのような役割を果たしているのでしょうか。

 大学院「救急システム研究科」は、2010年に開設されました。大学院を構築した目的は、病院前救急医療の分野を牽引するトップリーダーを養成することです。私たちが学生によく言うのは、「大学を出て国家資格を取って、それで満足してはだめだよ」ということ。国家資格は取ってから活かすために自学しないと意味がありません。ところが、これまで救急救命士には資格取得後の研修の場がありませんでした。国家資格を取れば救急救命士にはなれます。でも、そこで終わりではなく、それを活かして社会に役立つ人間を育てるためには、やはりひとつ上の研究教育機関である大学院が必要だと考えたわけです。
 また、救急救命士の分野においても、「医学」や「看護学」と同じように、救急救命士が修める「救急救命学」の学問体系としての構築が求められるようになってきました。この分野での高い倫理観を有した研究・教育者の育成は急務の課題であり、本大学院はそれに応えるものです。これまでに120名を超える救急救命学修士、3名の救急救命学博士を輩出してまいりました。これからも実学を実践する大学院として、現場の救急医療に直結する研究や教育の向上に役立ちたいと考えています。

編集部: スポーツ医科学科で学んだ学生は、どのような道に進んでいくのですか?

 スポーツ医科学科には1学年におよそ160名の学生がいます。彼らは卒業後にほぼ全員が救急救命士の国家資格を取得します。
 現在、救急救命士の求人は順調です。団塊の世代が消防署から大量退職し、一時的に人材不足になっているからです。しかし、この状況はそう長くは続かないでしょう。というのは、日本はこれから未曾有の少子高齢化社会に突入するからです。高齢者が増えて地域自治体の税収が減ると、当然消防や警察の採用も減ってきます。団塊の世代の退職が終わりを迎えるこれからは求人は減少するでしょう。そこに短大や専門学校を含めて約40校もある救急救命士養成機関から、毎年約1400名もの救急救命士が輩出されます。これからの救急救命士の求人は楽観を許さない状況なのです。より質の高い教育をうけた学生の輩出が望まれます。
 さらに、問題は求人だけではありません。高齢化社会において一番の不便をこうむるのは一般の市民です。なぜなら、高齢化社会に入り救急車の要請件数が急増し具合が悪くなって通報しても救急車がなかなか来なくなるからです。119番通報から救急車が到着するまでの時間は、私がこの仕事を始めた頃は5分台でした。それが今では約8.6分かかります。今後はますます延伸するでしょう。実際に財政難におちいった自治体では、すでに救急医療が崩壊している場所も散見される様になっています。
 救急救命士の職の確保と、救急医療の崩壊を防ぐためには、消防機関以外に救急救命士を活用できる場を作らなければなりません。これが今、私たちが取り組んでいる仕事のひとつです。

編集部: 消防以外での救急救命士の活用とは、具体的にどのようなものですか?

 たとえば、大型の商業施設を考えてみてください。そこで誰かが心停止になった場合、救急車が現場に到着するまでにかなりの時間を要します。でも、もし仮にその商業施設に救急救命士が常駐していれば、救急隊が到着する前に適切な処置を施し、命を助けることができます。テーマパークや集客施設でも同じ事です、東京スカイツリーの500mの高さで具合がわるくなってもすぐには救急車はこれないのです。
 これまでは国家資格を持っていても、民間の救急救命士は消防と同じ活動はできませんでした。しかし近年、日本臨床救急医学会や日本救急医学会、日本医師会、厚生労働省や総務省消防庁で民間救急救命士活用協議会を立ち上げこれを見直そうという動きが盛んになり、検討会を繰り返して、ようやく民間の救急救命士も消防の救急救命士と同じように活動できるようになりました。
 となれば、救急救命士の活用範囲はぐんと広がります。野球場やサッカー場などのスポーツ施設、高齢者施設、遊園地やテーマパーク、鉄道会社や航空会社、さらに民間の警備会社も救急救命士を雇用するようになるでしょう。契約先のお宅で人が倒れたとき、救急車より先にかけつけて救命処置をすることが可能になるからです。
 こうなるまでには、長い道のりがありました。私たちは東京マラソンや他のスポーツ大会に消防に属さない救急救命士を派遣し、数々の命を救ってきました。このような活用事例をひとつずつ積み重ね、学会などで発表して、民間救急救命士の活用の有用性を社会に訴えてきたのです。今後はさまざまな企業や団体で救急救命士の需要が高まってくると思います。

編集部: 日本の救急医療をけん引するような素晴らしい取り組みですね。

 社会や国の機関に対してこういった働きかけができるのも、実は私たちのところで学んだOBが消防機関、行政機関、大学院、その他主要機関で活躍するようになったからです。すでにOB・OGは2000名を超えあらゆる分野で活躍しています。国士舘大学のスポーツ医科学科は、救急救命士の養成に関して間違いなくトップスクールです。教育・研究・臨床の各分野において日本をリードしています。ただ、トップだからこそ、それを維持していくのはたいへんだと思っています。常にトップの人材を輩出せねばならないからです。
 近年、厚生労働省や総務省会議に出席すると国士舘OB・OGの顔をみる機会が増えてきました。全国に散らばった彼ら彼女らがその地で頑張っているのです。まさに「国の支柱となる」事を実践しています。これからも国や地方行政の中枢で、救急救命士の分野をリードしていける人材を育てたいと思っています。学生には1年生のときから、国士舘大学で学ぶ意味を伝えるようにしています。

編集部: 通常の実習に加えて、海や山での実習がありますね。
これにはどのような意味があるのですか?

 そうですね、私たちのカリキュラムには、海や川での水難救助の実習、そして冬山での遭難救助の実習が入っています。国家資格を取るだけであれば、このような野外での実習は必要ありません。でも、先日も高校生が山で雪崩に巻き込まれるという痛ましい事故が起きました。地方の消防署に行くと、必ずといっていいほど海山での事故の現場に入っていく必要が出てきます。救急救命士の大学を出たものとして、極限の環境で人を助けなければならないこともあるということを体験し実践できるようにしておかなければなりません。そのために海や山での厳しい環境下での訓練を経験するのです。
 もうひとつ、この実習を行う意味があります。それは、国士舘プライドを理解することです。トップスクールで学ぶ意味を理解し救急救命士としてのミッションを一人ひとりの胸に刻み込むことです。入学したての頃は、160人の心はバラバラで、とりとめのない集団です。それをひとつの方向に向けて、自分たちの使命を理解してもらうために、入学してすぐにプールと海での水難救助実習があります。この実習はけっこうきつくて、しかも、みんなの連帯が必要になります。一人でも調和を乱したら、連帯責任で全員が腕立て伏せをやらされます。個々の心がばらばらだと、人の命を救うことはできません。だいいち自分たちにも危険が及びます。この実習は、「自分に求められているものは何か」という使命をしっかり理解させるための、我々からのメッセージでもあるのです。

編集部: 東京マラソンなどで国士舘大学の「モバイルAED隊」が活躍していますね。
この活動にはどのような意味があるのでしょうか?

 東京マラソンは国内最大規模の都市マラソンとして、2007年から開催されています。国士舘大学は第1回大会から「沿道救援チーム」として参加しています。コース沿道にAEDを持った学生を1kmごと等間隔で配備し、AEDを装備した「モバイルAED隊」が2kmごと自転車に乗って巡回し、万全の救護体制を取っています。そして2007年、2009年の大会では心肺停止状態で倒れた2名の男性ランナーを救命しました。この日は国士舘大学スポーツ医科学科の学生、さらにスポーツ医科学科を卒業し、様々な分野で活躍するOB・OGの救急救命士が一同に会する1日でもあります。
 なぜこんな取り組みを始めたかというと、一般の人にAEDの有用性を理解してもらいたいと考えたからです。2004年7月に厚生労働省が通知を出し、一般市民もAEDを使うことができるようになりました。私たちの研究で、病院前の救急救命でいちばん有効なのはAEDだということが分かっています。救急隊の処置の中でも、これが一番効果があります。ただし、一般の人にとってAEDの使用はハードルが高い。そのハードルを低くするためにはどうすればいいか。それを考えた結果、注目をあびるスポーツイベントにおいてAEDで人が助かる事例を増やそうということにとになりました。「AEDで人が助かった」、その事実こそが最高のプロモーションになるからです。実際、2009年の東京マラソンで助かった人のひとりは、有名な男性タレントでした。この方を救命したことが日本中のニュースになり、一躍AEDの有効性が世間に知れ渡ったのです。現在、私どもではマラソンやスポーツイベントを含め、年間70大会ほどをサポートしています。昨年の12月からこの3月までの4カ月間で、9名もの心停止傷病者を救命することが出来ており、これまでも通算29例の心停止傷病者に対して94%近くの人を救命することが出来ました、これは世界的にみても非常にすぐれた記録です。国士舘大学の総合力の高さと学生・OB・OGの結束力が問われた結果だとおもいます。

編集部: 国士舘大学には「防災・救急救助総合研究所」というものがあります。
これはどのような活動をしているのですか?

 「防災・救急救助総合研究所」は、国士舘大学の防災教育救急医療の研究の中核をなす組織として、2012年の春に設置されました。入学するすべての学生に防災教育を授け、首都直下型地震などが来たときに、地域の人々を守れる存在になりたいと願っています。
 この研究所が誕生したきっかけは、2011年の東日本大震災でした。あの日、私は学内にいてものすごい揺れを経験しました。テレビをつけると津波の映像が流れ、これは大変なことになったぞと思いました。そして、理事長・学長の許可をいただき学内にいた仲間5名と一緒に、取るものもとりあえず大学の救急車に乗り込んで被災地に向かったのです。
 いったん宮城県庁に立ち寄り、そこから石巻の赤十字病院に向かいました。到着したのは夜中のこと。そこで次々とヘリで運ばれてくる人々を処置し、診療の手伝いをしました。そうして翌日、「孤立集落があるから行ってくれ」と言われ、自衛隊と京都第一赤十字病院の車と一緒にそこに向かいました。到着すると、100名ぐらいの人が山の上の集会所に集まっていました。そこで被災者を看ていると、ふと「国士舘の人ですか?」と声をかけられたのです。救急車に入っていた学校の名前を見たのでしょうね。他にも「うちの孫は国士舘だよ」「うちの息子も4月から国士舘だ」と言ってくれる人が次々と現れました。
 そのとき私は強く実感しました。こんな集落からも国士舘に子供や孫を送りこんでいる、全国で起こる災害現場には必ず国士舘関係者がいるはずだ。こういう災害発生時にこそ、人の助けとなる人間を育成するべきではないか。それが国士舘建学の精神にある「国の支柱になる人」ではないかと。それで東京に戻って真っ先に学長と理事長に報告を兼ねて、ぜひ「防災」を大学の大きな柱にしていただきたいとお願いしました。そういう経緯で「防災・救急救助総合研究所」が設立され、学生に防災の知識と技術を授けることになりました。本大学の防災研究所としては異例な「教育を行う」研究所として認められ、この防災教育は平成24年から毎年4月にほぼ全員の入学生を対象に「防災総合基礎教育」の講義を行い、また、「防災リーダー養成論」と「防災リーダー養成論実習」という選択科目をスタートさせています。

編集部: 最後になりますが、先生は体育学部スポーツ医科学科の学びを通じて、
どのような人材を育てたいとお考えですか?

 はじめにも申しましたが、社会に対して使命感を持った学生を育てていきたいと考えています。ただ国家資格を取りました、仕事ができます、ではなく、国士舘スピリッツを胸に抱き、国の安全安心の要となり地域の人たちを守っていける人間ですね。国・県・地域のリーダーとなれる人。国を支える支柱となれる人材。それには救急救命士を養成することがいちばんだと私は考えています。
 また最近ではこの救急救命へのとりくみを国士舘へ入学する全学生に防災や救急救命処置の指導を通じて国士舘スピリッツを伝えたいと思います。すなわちこの大学に入ってきてくれた学生全員に防災を学んでもらいたい。そして、いざというとき役に立てる人間になってほしいと思っています。日本のように自然災害の多い国は他に類を見ません。夏は雷雨や台風、土砂災害もあるし、大雪も降るし、地震や火山の噴火もある。アメリカの友人に「なぜおまえはそんな危ない国に住んでいるんだ」って言われました(笑)。でも国士舘の卒業生に求められるのは、いざというときに力を発揮できる人間の強さです。ストレスに対する忍耐力や行動力は過去から未来まで国士舘大学生が有するべき特色です。
 それともうひとつ心がけているのは、「学生にまかせる」ということ。今の教育はどうしても上から目線で「こうやりなさい」という押しつけになっている。それでは人間は育ちません。AEDによる救助とか、防災研究とか、スポーツ医科学科にある活動は、みんな学生自らが考え、発展させてきたものです。私たち指導者は大きな局面で判断のアドバイスをしてあげればよいのです。私たちはどんどん彼らの力を引き出してあげたいと思っています。学生の力を引き出すことこそが、教育者の使命であり、そのチャンスをつくることが我々の仕事だと思っています。

田中 秀治(TANAKA Hideharu)教授プロフィール

●医学博士/杏林大学大学院医学研究科博士課程修了
●専門/移殖外科学、熱傷学、病院前救急医学、プレホスピタル教育学、外傷学、蘇生学