編集部: 体育学部の武道学科は、何を学ぶところなのでしょう。
武道学科は、日本の伝統文化である武道の発展と継承を目的として、平成12年に、国士舘大学の体育学部に創設された学科です。教育の柱となっているのは、柔道と剣道と空手の3つの武道です。国士舘大学にはもともと「文武両道」という考え方があります。これは本学の前身である国士舘専門学校の時代より脈々と受け継がれてきたものです。国士舘専門学校の教育の目的は、武道教育とすぐれた指導者の養成でした。「武道のこころ」は、豊かな精神性と高い倫理性にあります。礼節を重んじ、基本からの練習を重ね、理論と実技の両方を学び、競技力を向上させ、そうして心身を磨いたのちに社会に出て、武道の指導を通じて地域社会に貢献できる人となる。武道学科ではこの精神を受け継ぎ、技術と精神面を磨きながら、さらにスポーツ医科学に裏付けられた最先端のトレーニングシステムなどを取り入れ、現代の日本にふさわしい新しい武道の指導者を養成しようとしています。
編集部: 授業では、どのようなことを教えてらっしゃるのですか?
私はずっと剣道をやってきた人間なので、大学では剣道を教えています。よき指導者になるための理論と実習などの科目ですね。それから3年生と4年生のゼミも指導しています。卒業に必要な単位は124単位ですが、そのうち104単位が専門科目になっています。極めて専門性の高い学びということができるでしょう。
教えることの内容は、座学と実技の両方です。武道のよき指導者となるために必要なもの、身につけておくべき知識や技術は何かといったことですね。たとえば、剣道を子どもたちに教えていくために、どんな指導をすればいいか。何を大事に指導すべきか。まず基本を正しく教え、興味が持てるように指導していかなければなりません。もちろんその中には所作や礼法も含まれています。そして、武道は勝負の世界ですが、ただ強くなればいいというものでもない。子どもたちの個性を伸ばし、人間性を培うことも大切な指導です。一人ひとりの個性に見あった、最良の教え方ができる、武道のよき指導者になってもらいたいと思っています。
編集部: 例えば人に武道を教える場合、具体的には何が大切になるのでしょう。
そうですね。指導には「褒める」と「叱る」の両方があると思います。「称揚法」と「指摘法」というのですが、特に相手が小さい子どもの場合は、武道に興味をもってもらうためには、やはり褒めて伸ばす「称揚法」を多く使った方がいいと思います。人間は叱られるより、褒められた方が気持ちいいですから。と、学生には言っているのですが、自分のことを思うと「私はよく叱るよなぁ」って思いますね(笑)。日々自分で反省しながら、学生に教えているという感じです。
本当のところ、教育というのは教えながら、自分が教わっているところがありますね。人に教えるというのは、教わることでは
ないのかと。小学生を教えていても、稽古している姿を見て、「ああ、これだよな」と教えられることがあります。無心で子どもが
技を出すとき、そこには学ぶべき姿がありますね。全て何もかも自分が教えているというのは違うんじゃないかと思います。武
道というのは、そういうものです。
編集部: 「地域武道実習」と「海外武道実習」という授業があります。この授業では何を学ぶのですか?
「地域武道実習」と「海外武道実習」は3年次に取る選択制の授業です。「地域武道実習」は、出身地の武道館に行って、子どもたちや地域の人と接しながら、実習形式で武道の指導を学びます。地域で武道がどのような仕組みで運営されているのか、地域のために何をすれば役立つのかなどを、自分の肌で感じ取り、将来に活かしてもらいたいと思います。また、「海外武道実習」は、日本の外に出て見聞を広め、異文化を知り、海外の武道家たちと交流を図ることが目的です。将来、ここで学んだ学生が海外に行き、武道を広めてくれたら、これに勝る幸せはありません。
実際、外国に行ってみると驚くことがありますよ。海外の剣道家は日本人以上に日本的なんですね。剣道には日本剣道形という稽古の形があります。剣道の基本中の基本なんですが、日本では昇段試験の前にちょっとやるぐらいですが、海外の剣道家は実に熱心にこれをやるんです。毎日きちんとやる。日本の若い人はどうしても試合中心で、勝つための剣道になっている。でも、海外の人は求めているものが違うんですね。日本の伝統文化としての剣道を求めているように感じます。これは大事にしていかねばならないと思いますね。。
編集部: 先生はなぜ剣道の道に進まれたのですか。また、なぜ国士舘大学に入られたのですか?
私が剣道を始めたのは中学生のときで、高校に通う頃には、もう国士舘大学の剣道部に憧れていました。高校は宮城県だったんですが、そこそこの成績を収めていたので、大学に行ったらすぐに選手になれるだろうと思っていました。ところが、国士舘に入ってびっくりしました。あまりにもレベルが高いので。「こりゃ、四年間真剣にやって、選手になれるかどうかだなぁ」と、急に自信が持てなくなりました。それぐらい国士舘大学は強かったんです。でも、幸いにといいますか、たまたま運よく大学3年生のときに全日本学生で優勝できまして、それで少しずつ自信がついて、剣道で身を立てたいと思うようになりました。
大学を卒業したときは、宮城県に帰って教員になることも考えましたが、もっと剣道の高みを極めたいという欲が出まして、それで国士舘大学に残って剣道を続けることになったわけです。自分は国士舘大学に進んで本当によかったと思います。どこまでも剣道を求められるし、また、指導者にもなれましたから。助手として大学に残ってから、かれこれ2千名ぐらいの学生を教えてきました。ただ剣道で強くなるなら他の選択もあったろうと思いますが、国士舘に来て指導者になれたのが私としては幸せでしたね。これ以上の職業は自分にとってなかったと思っています。
編集部: 剣道のおもしろさは、どこにあると思われますか?
剣道とひとくちに言っても、いろんな剣道があります。競技としての剣道もあれば、楽しむ剣道もある。社交を目的に、剣道を通してコミュニケーションを楽しむ人たちもいます。また、日本の伝統的文化として、精神性を高めるためにやる人もいる。十人十色ですね。そういうさまざまな人のニーズに対応できる指導者づくりを国士舘でやりたいと思っています。人が求めるものに合わせられる、ふところの広い指導者の養成ですね。
ただ、私に限っていえば、剣道のおもしろさは、精神性にあると思います。剣道のもとは剣術で、その根本は命のやり取りです。今はスポーツとしての面もありますが、それでも相手を打つというのはかなり厳しい勝負です。打つのでも、ただ打つのではなく、徐々に相手の枝葉を取っていき、究極の一本を求めるようになる。相手と対峙しているときの心のやりとり。相手の気持ちを動かすというか、崩すというか。少しずつ相手を自分の思う通りにしていく。こういう攻防のかけひきや、心の会話が相手とできるようになると、剣道はがせん面白くなってきます。
編集部: ただ打つ、打たれるの勝負ではなく、心の勝負、それが剣道の醍醐味なのですね。
剣道には「残心」という言葉があります。残心とは、打った後の心構え、気構えのようなものです。この残心ができていないと、たとえ竹刀が当たっていても、一本の旗は挙がらないことがあります。他のスポーツを見ていると、勝者が敗者の前でガッツポーズをすることがありますね。あれは剣道ではありえない。ガッツポーズをするというのは、残心がないこと。心構え、気構えが崩れていることです。もし、真剣で勝負していたら、勝ったと思って喜んでいられますか。万一相手に力が残っていたら、ガッツポーズをしている間に、返り討ちにあうかもしれない。相手の負けを最後まで見届けて、きちんと片をつける、それが残心なんです。
これは剣道だけの話ではありません。社会に出て仕事を始めても、同じことが言えると思います。最後まできちんとやって、片をつける。たとえば上司への報告などは、まさに残心でしょうね。やったらやりっぱなしではなく、きちんとまとめて事後報告をする。最後まで物事をやり通すのは、まさに残心の精神そのものだと思います。剣道の技術なんか、社会では何の役にも立ちません。ただ、技術を磨くためにどういう精神状態にあるべきか、この心の有り様は社会に出て役に立つと思います。剣道の技術は、心を磨くための手段なんです。武道を学ぶことのよさは、ここにあると思います。
編集部: なるほど、人間形成に武道が役立つとは、こういうことですね。
そうですね。社会に出て、自分が持っている技術を出し切るとき、何が必要になるかというと、充実した気力です。その気力が何かを決断したり、仕事で相手と話をしたりするときに役立ちます。剣道ではそういう「気」を養ってほしい。「ここは負けない! 踏ん張りどころだ!」と、そういう気概こそが、社会で生きるのです。それから礼儀や所作ですね。これも社会に出て人と交流をするときに役立ちます。
そしてもう1つ、授業で学生によく言うのは「徳を身に付けてほしい」ということです。剣道には人となりが自然と現れてきます。試合で勝った負けたもいいのですが、徳を積んでいくと、剣道に品位や品格のようなものが出てきます。それこそが大切だと私は思います。
国士舘の創立者の柴田徳次郎先生は、吉田松陰を尊敬されていました。その松陰の教えに「仁義礼智信忠孝」の七つの徳があります。士道七徳といいます。剣道をやれば必ずしも身に付くというものではありませんが、自分が意識して、剣道の中から学び取ろうとすれば、自ずと剣道は変わってきます。と偉そうなことを言いましたが、私自身もこれはできていませんね(笑)。でも、それを求めていかないと。できる、できないは別にして、大切なのは求め続けること、求道心ですね。それがないと、「あの人の剣道はいいなぁ」とは言ってもらえません。
編集部: そういうことを教えて、若い学生は理解できますか?
いや、学生でも立派な者がいますよ。私なんか20才のときは、こんな立派じゃなかったなぁと思いますね。正直嬉しい。そういう学生を見るのは、本当に嬉しいです。師弟同行という言葉があります。師弟が一緒に歩むことが大切という意味ですが、本当にそうだと思います。教える方も、教え子から学んでいかないと。国士舘大学の恩師に大野操一郎という先生がおられました。20代のときに私は大野先生にこう言われたんです。「氏家、剣道はな、70ぐらいから強くならなきゃ嘘だぞ」って。当時大野先生は80前ぐらいだったと思います。そのときは何のことを言っているのかさっぱりでしたが、最近ようやく分かるようになりました。勝ちとか負けとかではなく、剣道は何歳になっても強くなれるんだということが。実際、年を重ねるごとに剣道がよくなっていく方がおられるんですね。70から強くなる、これが私の今の目標です。
編集部: 2016年度より武道学科の定員が増える(届出書類提出中)そうですね。
はい、今のところ15名定員が増える予定になっています。今回の定員増(届出書類提出中)の背景には、少子化や多様化で武道人口が頭打ちになっているにもかかわらず、空手をやる子どもが増えているという事実があります。空手人口は全国で約300万、世界では4000万人もいるといわれています。今まで本学科は、どちらかというと柔道と剣道が中心でしたが、これからは空手にも力を入れ、三本柱でやっていこうと考えています。2020年の東京オリンピックでは、空手が競技種目の1つになる可能性があります。オリンピックに照準を合わせ、国士舘大学ではきちんとしたプログラムを作り、柔道と空手で、ぜひ東京オリンピックに貢献したいと考えています。
編集部: 最後になりますが、武道学科の学びを通して、どのような人材を育成したいとお考えですか。
そうですね。私としてはやはり、地域社会に貢献できる人間になってほしいと思いますね。自分の専門種目の武道を活かして、地域のために役立つ人になってほしい。そのために徳を積み、自分を高め、また、地域武道実習で培った知識やコミュニケーション力を活かしてほしいと思います。
それともう1つは女性ですね。これから武道が発展していくためには、女性の力が必要です。結婚して子どもができると、辞めてしまう女性が多いのですが、ぜひ彼女たちには武道を続けてほしいと思います。そうして、女性のやさしい感性としなやかな視点で、子どもたちに武道の楽しさを教えてもらいたい。うちの剣道部にも素晴らしい女性がたくさんいます。彼女たちは剣道を広めていくだけの優れた技能と力を持っています。ですから、途中で辞めてしまうのがすごく残念で、ぜひ指導者として活躍してほしいと思います。
武道はよきものです。武道を通して人間性を培えば、社会に出て必ず役に立つと思います。また、海外に出ていったとき、武道をやっているという意識は必ずプラスに働くと思います。グローバル化の時代だからこそ、日本の伝統文化である武道の価値が輝きを増すのです。本学の学びを通して優秀な指導者を育て、日本に、そして世界に、武道のすばらしさを広めていきたいと思います。
氏家 道男(UJIIE Michio)教授プロフィール
●国士舘大学体育学部卒業
●専門/体育学 剣道