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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?20筆者は、柴田が、渡辺に道徳のよりどころとしての仏教(あるいは宗教一般)を教えるよう依頼したのではないかと推測している。特に、一九二三(大正一二)年に、大民倶楽部が「佛教各宗派聯合海外布教団」の発会を図るなどは、仏教各宗の連携と大乗仏教を土台にした社会問題への取組みという渡辺の思想の影響を受けているといってもよい。柴田は、芝中学校) (( (で、渡辺の修身の授業を受けたことがあるともいわれている) (1 (。芝中学校で、渡辺の「修身」の授業を受けた柴田が、その人柄に感服し、関係がつながったのではないかとも考えられる。そして、もう一人、柴田と渡辺の接点を考えるにあたって重要な人物がいる。それは、渡辺の弟子であり、マハヤナ学園の設立者である長谷川良信である。柴田と長谷川は、共に後に渡辺が校長を務めることになる芝中学校の学友であり、「二人で社会国家を論じたり、酒を酌み交わしたりしていた) (1 (」という。しかし、同様に、これまで国士舘や柴田と長谷川のつながりを指摘するものはほぼない。1.柴田德次郎と渡辺海旭との接点柴田は、芝中学校で、渡辺の修身の授業を受けたことがあるともいわれているが、これまで、柴田と、浄土宗1926(大正15)年6 月3 日 国士舘長老懇談会(於渋沢栄一邸)(前列左より頭山満、野田卯太郎、渋沢栄一、徳富猪一郎(蘇峰)、後列左より花田半助、渡辺海旭、柴田德次郎)