ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?18「“together with him” の実践を通じての理想社会の建設と真実な人間の育成」を目指すものとしている。それらは、仏教でいう自利利他の精神であり、今日の「共生」の思想といえる。五 柴田德次郎の教育論1.誕生と家庭環境柴田は、一八九〇(明治二三)年一二月二〇日、福岡県那珂郡別所村(現筑紫郡那珂川町別所)に生まれる。一四歳で上京し、苦学の末に早稲田大学専門部を卒業。在学時より同郷の頭山満、野田卯太郎らと知り合う。一九一七(大正六)年一一月、二六歳で同志とともに国士舘を創設した。国士舘は、現在では中学・高校・大学・大学院を一貫する学校法人国士舘となっている。建学の精神は、「日本の将来を担う、国家の柱石たるべき眞智識者「国士」を養成する」である。2.柴田の教育論『大民』大正六年一一月号に、宣言「活学を講ず」が巻頭に掲げられた。以来、国士舘はこの「活学」を教学の理念とし、学ぶ者みずからが不断の「読書・体験・反省」の三綱領を実践しつつ、「誠意・勤労・見識・気魄」の四徳目を涵養することを教育指針に掲げてきた) (1 (。この「活学を講ず」は、「国士舘設立趣旨」として、新たな教育機関の設立を世に訴える宣言文となった。注目すべきは、「精神文明なくして国家豈に一日の安きを得んや」と高らかに謳い、「活学を講ず」ではさらには、昨今の日本文化のありようを「猿真似の文化」であると批判している。このような柴田らの思いが国士舘と渡辺・長谷川らとの結びつきとなったのではないかと考えられる。六 柴田德次郎と国士舘―渡辺海旭との関係について―本節においては、柴田德次郎が仏教者である渡辺海旭に「思想問題」の授業を依頼した経緯について述べる。資料は、主に青年大民団の機関紙『大民』を使用する(資料1)。これまでに、柴田と渡辺の関係を指摘した例はほとんどない。渡辺海旭研究では、「国士舘完成長老懇談会記念写真」として、柴田、渡辺、徳富蘇峰、渋沢栄一、野田卯太郎、頭山満らとともに写された写真が現存しているが(資料2)、どういう経緯で撮影されたのかは不明であった。これまで指摘されたことのない、柴田と渡辺との接点を述べるだけでも価値はあると思う。