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概要

国士舘史研究年報第8号

教育の「土台」としての宗教・文化17日、茨城県西茨城郡南山内村字本戸(現笠間市内)に生まれる。六歳で浄土宗・得生寺の住職小池智誠の養子となる。一五歳で上京し、浄土宗第一教校(現芝中学高等学校)に入学する。一九一〇(明治四三)年に、浄土宗第一教校を卒業し、宗教大学(現大正大学)に進学する。在学時より生涯の師である渡辺海旭や矢吹慶輝と知り合う。宗教大学卒業後に、渡辺の薦めもあり、東京市養育院の巣鴨分院(現石神井学園)に勤務するが、病気により退職する。その後、『浄土教報』の記者として再出発し、宗教大学に「社会事業科」の開設を訴えるなど、再び活動を始める。一九一八(大正七)年に、東京府慈善協会の救済委員制度が創設されるに伴い、長谷川は、巣鴨方面の救済委員を委託される。徹底した調査のなかで、個人としての活動よりも、組織的な事業の必要性を痛感し、西巣鴨にある通称「二百軒長屋」に、「マハヤナ学園」(一九一九年)を創設した。長谷川が、若干二八歳でマハヤナ学園を創設するときに、創立委員に柴田德次郎も名を連ねている。国士的な豪傑さと、日本的な精神を重視する点は、渡辺・柴田・長谷川の三者に共通する。2.宗教・社会事業・教育の三位一体論長谷川は、宗教・社会事業・教育の三位一体論を提唱した。三位一体は、通常はキリスト教で、父・子・精霊の三位は唯一の神が三つの姿となって現れたもので、元は一体であるとする教理のことを指す。転じて、三つの異なるものが一つになること、また三者が心を合わせることを意味する。また、代表的な著書である『社会事業とは何ぞや』のなかで、長谷川は、「社会事業とは社会の進歩人類の福祉の為めに社会的疾病を治療し社会の精神的関係及経済的関係を調節する機能をいふ―定義」と述べている(9)。3.長谷川の教育論一九一八(大正七)年に創設された「マハヤナ学園」は、「社会福祉法人マハヤナ学園」として、二〇一〇(平成二二)年に創立九〇周年を迎えた。また、教育事業としては、淑徳大学が昨年(二〇一五年)創立五〇周年を迎えている。淑徳大学は、大乗仏教の理念を建学の精神としており、長谷川は、「for him(彼のために)ではなく、together with him(彼と共に)でなければならない」と述べている。一九六五(昭和四〇)年に、社会福祉学部社会福祉学科から始められた淑徳大学は、