ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?184史』史料編上、四六五~四七二頁)に記されている。まずは、当初思っていた国士舘のイメージについて、出来た当時の国士舘の噂は、全く設立者の趣旨とは天地の差でありまして、なんでも壮士を養成するところだらうといふことに、附近の人々は噂をそのまゝ肯定して怪しみもせなかつたのであります。従て誰も強いて近寄らうとせず、どちらかといへば敬して遠ざけるといふ主義で居たやうであります。と述べている。しかし、国士舘から農商補習夜間塾の講義依頼があり、実際に国士舘を訪れ、学生と接するにしたがい「聞くと見るとは正反対」であったとして、驚きを含めて次のように語っている。元来石井君(筆者註―澄之助、国士舘商業学校主事)が私を目掛けて補習学校に講義を受持つてくれと頼みにきた経路が未だに判らぬのでありますが、こんな縁故で、私が追々国士館に接近するの機会を得、その後時日を経過するに従つて、国士館内部のことも少しづゝ判るやうになつて見ると、この附近の人々の噂や、私が当初考へて居た国士館なるもの1926(大正15)年2 月2 日 商業学校創立相談会(後列左より5 人目が大場信續、6 人目が柴田德次郎)