ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて173五〇〇〇%を超えていたといわれ、国民生活は限界に達していたように思われた。政府の発表する公式インフレ率はデタラメで、国は国民の信頼を失い、スーパーマーケットでは毎日のように価格が書き換えられ、映画館の料金が午前と午後に値上がりして書き換えられた時には最早これまでかと思った。現金を持っていると価値が下落して、指の間から現金が落ちて無くなっていくように感じられ、こうなると現金を持ち歩くものはいなくなり何を買うにも小切手を使うようになる。銀行口座を常に運用し、振り出した小切手の支払日にその金額だけ運用口座から普通口座に入れるという忙しい毎日である。それでも通貨の目減りが激しく、銀行で運用したり、闇ドルや中古車市場、その他庶民で出来る運用では、全てインフレの数字に勝てるものはなかった。そのような状態の中、一九九〇年三月一五日、政府は突然一定額以上の銀行預金凍結を発表したのである。青天の霹靂とはまさにこのことで、国中が混乱の極みに達したことはいうまでもない。数年後に凍結が解除された時、政策の失敗によりハイパーインフレーションが続き、預金者の手元に返された預金額は、実際のインフレ率とはかけ離れた政府発表の公式インフレ率を基にして利子が計算されており、中間層の多くは財産を失い、企業倒産と多くの失業者を生み出す結果となった。マチュピチュ一九八三年一二月の末、リベルダーデ区の日本人街に出かけた帰り、万里ホテルへ寄りいつものようにマネージャーの千葉さんと世間話をしていた。万里ホテルは国士舘訪問団で団体利用して以来馴染みにしており、リベルダーデにきた時にはレストランやロビーを利用していた。ソファに座り何気なく壁の南米地図を眺めていると目に止まったのがペルーのマチュピチュである。以前から興味を持っていたところでもあり、せっかく南米に来ているのだから足を伸ばそうという気が湧いてきた。翌日から情報を集め、一二月三一日の朝には旅行カバンを背にブラジル内陸への基点となるルース駅の前に立っていた。何時間列車に揺られたのかはっきりとは憶えていないが、途中列車が故障しトレースラゴーアスという駅で止まったまま動かなくなり、三時間くらいしたらとうとう列車から降ろされてしまった。この先のカン