ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?172ださり、その後何かと支援していただいた。業務の合間を縫って通学し何とかお情けで小学校卒業資格を取得した。更に上級学校へ進みたいと相談したところサンパウロ市にある、日本でいえば中学校にあたる学校の速成コースを紹介していただき紹介状を書いてくれた。アルモニア学園に空手道指導に赴く前後や、その他何かと都合をつけて学校に通い、何とかコースを修了する事が出来た。おかげでポルトガル語をはじめブラジルの、歴史、社会、科学、その他の基礎的な学習をする事が出来た事は勿論であるが、小さな子供たちに冷やかされ、からかわれ冷や汗をかきながら勉強したことは忘れられない思い出である。ブラジル空手道事情ブラジルの空手道は、日本から渡った各流派所属の日本人指導員によって広められ、日本人指導員主導の各流派団体組織が作られてきた。しかし、一九七〇年代後半から日本人に学んだブラジル人の弟子たちが独立して各組織の主導権を持つようになり、唯一政府から認められる公式の組織も弟子であったブラジル人空手家が主導権を持つこととなる。日本で生まれた空手道が世界で広まり、それぞれの国で組織が成熟する過程において、現地の弟子たちへバトンが引き継がれていく段階で既得権益を失うこととなる日本人指導者と、新たに権益を得ることとなる現地人指導者との間に、しばしば確執が生まれることとなる。同様の流れは一九八〇年代のブラジルでも顕在化していた。また別の問題として、空手道が普及するにつれて起こる空手道のスポーツ化に対し、一部の日本人指導者たちは伝統的空手道の存続をはかり、独自の思想・技術体系に則った組織作りも行っていった。そのような事情のなか、国士舘はスポーツと伝統武道の両面を重視した人格陶冶に結びつく空手道を模索することとなる。ブラジルの経済と生活私が赴任した一九八二年当時、ブラジルは国際社会に対し債務返済が不能となりモラトリアムを発表し、その後IMFによる国家経済への介入、国際銀行団との債務返済繰り延べ交渉と国中が混乱し、マラリア熱に侵されたようにインフレ熱に侵されていた。一九九〇(平成二) 年には年間インフレ率は生活必需品では年間