ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて169ミントンクラブとして連盟に登録し、最盛期には会員数も四〇名を数え、武道体育館いっぱいに四面の正規コートを作り、選手からは後にサンパウロのクラブに移籍後、ブラジル選手権で優勝する選手まで輩出した。連盟公認の年間バドミントントーナメントに国士舘カップが加わり、支部武道体育館にサンパウロ州各市からの代表クラブを迎え開催するまでになった。このバドミントンを通じて一人のブラジル人Y氏から、私は大きな影響を受けることとなった。Y氏は医師を職業とし、CPBというバドミントンクラブの役員であり、私が支部でバドミントンクラブを開設する為にCPBに入会し練習を重ねていた時、バドミントンの技術からクラブの運営方法にいたるまで親身に指導してくれた友人であった。支部バドミントンクラブの設立から二年くらい経ち、会員数も毎月三〇人~四〇人前後で推移するようになりクラブの運営も軌道に乗っていたある日、私はY氏にこれまでの協力に謝意を表すと同時にお礼をしたいと申し出た。この時Y氏は、感謝の気持ちは私にではなく他の人や社会に向けてくださいとお礼の申し出を辞退された。誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく別の人、社会に送るというY氏の考え方に私は静かな感動を覚えた。この日以来、今日に至るま1984 年9 月9 日 第1 回国士舘大学サンパウロ支部空手道大会