ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて165運営・管理業務に当たった。この当時、支部では須藤磐主事のもと、長谷矗、神戸洋一、相田勉、三嶋邦裕、川口雄大、小原政信、そして私が、時期は前後しながら日本から赴任し支部に常駐勤務していた。後に倉田幹雄が現地で専任職員として採用され加わった。三島邦裕は後に、サンパウロを離れポルトアレグレ市へ剣道指導員として派遣されている。川口雄大も後にベレン支部へ空手道指導員として派遣された。サンパウロ市内では右田重昭、鳥飼利行、岩崎雅仁がUSPと剣道連盟等で剣道指導、中野雅之がUSPと柔道連盟等で柔道指導、細田三二、五百部浩一がUSPほかサッカークラブ等でサッカー研修、三雲千賀子、山口慶司がUSPで新体操指導、上地康夫はバルゼン・グランデ・パウリスタ市の日本語学校で剣道指導というように活動しており、当初、月に一度くらいサンパウロ支部武道体育館に集まり支部会を開いていた。それ以外に峯経治、鈴木輝一、苫米地示路、櫻田博、鷹取寛行、本藤直浩、薬師寺幸、野村加奈子がそれぞれジャカレイ日本語学校、松下サンジョゼ補習校、クリチーバ日本語教室等へ日本語教師として赴任していた。サンパウロ支部全景(右上方に武道体育館とA池、右中央にB地区宿泊施設とB池、左上方にC・D地区を望む)