ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて163た。しかし、この食べ物がやたらと後を引き、食べたくなると屋台の夜鳴きラーメンを探すように街に出たこともあった。多分、痺れる葉っぱや香辛料に習慣性があるのではないかと思う。マラジョー島武道館の増築工事はサンパウロ武道体育館と同じ戸田建設が請負っており、サンパウロから来た日系建築士のSさんが担当していた。ある日、仲良くしていたSさんとアマゾン川のみえるレストランでランチをしていた時、河のはるか向こうにかすかに岸が見えており話に聞いたマラジョー島かと思い、「さすがにアマゾン川は大きいな」といったところ、あの岸はアマゾン川河口の中洲に位置するマラジョー島との間にある多くの小島の一つだと教えてもらい、アマゾンの大きさに驚くと同時に、マラジョー島に大きな興味を抱いた。アマゾン川の河口幅は最大三六〇㎞といわれ、マラジョー島はその中州にある島で面積は九州より広く、日本人の感覚からは桁違いの規模である。その後、休暇をとってSさんとマラジョー島へ遊びに行くことになった。出航当日、港のフェリー乗り場は多くの人でごった返しており、出航時間が過ぎてもなかなか出航しない。どうみても満員なのに乗船は続いており、定員数以上の切符を販売しているようだった。前の年、アマゾン川で観光フェリーが定員を超過して出航し途中沈没して二〇〇人以上が肉食魚の餌食になったニュースが頭をかすめた。船内は押すな押すなの大混雑で、しまいにフェリー二階のデッキから一人足を踏み外して転落し運び出される騒ぎが起きたりしたが、なんとか遅れて出航、三時間くらいでマラジョー島へ着いた。Sさんの発案で、私たちはホテルには入らず奥地の民家に泊めてもらうことにしていた。土で造られた本当にシンプルな民家だったが本当のマラジョーを感じることが出来たと思う。ベッドはなくハンモックを吊るして寝たが、蚊が多いのにはまいった。朝は家の人達と一緒に朝食をとり、その後ゆっくりと島を回った。民家の近くにはマンゴーの樹がいっぱいで、あたり一面に実を落としており、採る人もいないのか、野豚があちこちで実を食べていた。昼間は農場へ行きバッファローや馬に乗ったりして過ごした。夕方、宿泊した民家の裏の野原に出て仰向けに寝そべり夜空を見上げた時、辺り一面人工の明かりが全く無く、広がる草原の地平線から星が上がってくる満天の星空は、今でも