ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて161でミーティングをしていた時に何の弾みか銃の話題となり、参加者各自の車や合宿バッグから銃が集まり、食堂の机の上に一〇丁位の銃が並んだ時には、市民が普通に銃を携行している事に正直驚かされた。また、郊外の国道を車で移動していた時、前を走っていた友人の車が行きずりの車に抜かれたのをきっかけに抜きあいが始まり、相手の車が前に出たところで路肩に止まれと合図をしてきたようで友人も路肩に停車した。私も何か嫌な予感がしたが仕方なく後方に停車して様子を伺うと、相手側の車から銃を持った男が降りてきて車の窓越しに友人の頭に銃を突きつけた。時間にして数分だと思うが友人は無抵抗でやり過ごし、運よく何事も無く相手の車は走り去ったという出来事があった。さらに、サンパウロのリベルダーデという日本人街にあるブラジル日本文化福祉協会ビルの角にある公衆電話で通話をしているときに、背後からいきなり二人組に脇腹に銃を突きつけられた事があった。ホールドアップで銃を突きつけたまま背後からGパン後ろポケットの財布を抜き取り走り去って行った。ブラジルの公衆電話は頭が隠れる程度の笠のようなものがあるだけで、通話に集中していると体が無防備になる。この出来事以降、外出先では路上の公衆電話を使うことはなくなった。人の家を訪ねるときは遠くから手を叩いて近づく合図をする、いきなり近づくと発砲される危険があるからだ。ブラジルではお互いが銃を所持している可能性があるため、日頃からの危機管理意識は日本にいる頃とは全く異なった。ブラジルの国技サッカー私がベレンに赴任した一九八二年はサッカーワールドカップ・スペイン大会(イタリア優勝)の年で私が着任する四日まえに開催されたばかりでブラジル国内はまさにサッカー一色。街中の道路、壁にはブラジル国旗が描かれ、家の周りや電線には紙製の国旗が飾られ、ブラジルを鼓舞する音楽がどの街角からも流れていた。ブラジルの試合がある日は誰もがテレビ観戦するため商店、会社、役所までも開店休業状態で、街頭には人が全くいなくなる。ブラジルが試合に勝つと街全体がカーニバル状態となり大きなブラジル国旗を振り回す車と音楽が街中にあふれ、夜半まで騒ぎ通しとなる。この大会で優勝したイタリアチームとブラジルが対戦した日、私はテレビもラジオもないアパートで、近所から聞こえてくる実況放送を聴きながら窓の外を眺めていた。実況放送で流れてくるポルトガル語の内容は理解出