ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?158本から地球の裏側に渡ってこられ、成功した人、農業がうまくいかず都会へ流れてきた人など戦前戦後の日本からの移民の人達の生き様を垣間見ることが出来た。四月か五月頃武道館の増築工事も終り、一階奥にあった二部屋、シャワー室、裏庭までをつぶして板の間道場を拡張し、二階には町田先生の住居の他に指導員宿泊室が二室、トレーニングルーム、シャワー室、トイレ等を新設した。私は鈴木旅館を引き払い武道館二階に新設された指導員宿泊室に入った。港にはベロ・ペーゾという野外市場があり、食べ物から日用品、怪しげなものまで何でも売っていた。ある日散策していると市場の奥で小さな猿が私の目にとまりすぐに気に入った。シャツの胸ポケットに入ってしまう位の小さな焦げ茶色の猿で道場生の人気者となり、一人暮らしの私の心も和ませてくれた。外に出るときは肩にのせたりポケットにいれたりして可愛がっていたが、素人の私には飼育は難しく、いつのまにか逃げてしまった。稽古仲間一九八二年一二月、車田指導員が帰国した後、練習生への指導は町田先生、伊井、カルロスの三人でシフトを組んで行っていた。カルロスは年齢三〇代中頃、身長一八〇㎝ くらい、褐色の肌をもち、がっちりした体格で空手道の指導を職業としていた。私がベレン支部に赴任し、指導を開始したころ、私とカルロスはコミュニケーションがうまくとれていなかったが、ある日の稽古をきっかけに心を通わせることが出来るようになった。その日の夕方は、練習生が多く、カルロスが担当するレッスンに私が補助でつき、練習生と一緒に私も汗を流していた。当時、道場は多くの練習生や見学者で活況であった。増築前の道場は一レッスンに練習生が三〇人も来ると道場は一杯で全員揃っての移動、基本などは隣と接触しないように気を使っていた。稽古の後半に二人ずつ向かい合い自由組手が始まり、何順目かに私とカルロスが向かい合い拳を合わせることとなった。カルロスは馬力があり組手稽古で向かい合うと、その力強い技に押し込まれることも多々あった。前任者の車田指導員は五本組手でカルロスの前蹴りを受け損ない右手を骨折したこともあり、基本稽古でも油断は出来なかった。自由組手が始まって暫くは互いに様子をみながら技を出していたが、カルロスが背後の練習生に気をとられた瞬間、私の上段回し蹴りが彼の左側頭部をとらえた。彼