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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?14見人などの義務と定めた。その後一九〇七(明治四〇)年に義務教育修学年限を二年延長して六年とした。井上哲次郎も一九一二(大正元)年、国民教育は「小学校から中学校及び中学程度の教育を込めて云ふのでありまして、これは国民として必ず受けて置かんければならぬ教育(3)」であると述べ、いわゆる義務教育をもって国民教育と考えられるようになる。それとともに国民道徳も学校中心となり、第一期小学教則時代(明治初年から一二、三年ごろ)、第二期小学校教則綱領時代(明治一四年頃より二二年頃)、第三期改正小学校令時代(明治二三年頃より三六年頃)、第四期国定修身書時代(明治三七年以降)とされる(4)。第一期は外国の修身書を教科書または参考書とし、第二期は儒教による修身教授が行われ、第三期は教育勅語による徳目が教えられ、第四期は物語を基本として徳目、人物を配したものとなっている。一八九〇(明治二三)年一〇月三〇日には、国民道徳の基本を示し、教育の得本理念を明らかにするために、教育勅語が発布された。政府は勅語の謄本を全国の学校に配布し、天皇、皇后の写真の礼拝と勅語奉読を核とする学校儀式を案出し推奨した。この頃、三教合同、神道優先、教育勅語の国民道徳のもとで、仏教界も勅語への歩みよりと仏教人生論により生涯教育化、国民道徳化を進むこととなる。また、大正期から昭和期にかけ、教育界に宗教教育の必要性が叫ばれ、一九二五(大正一四)年には宗教教育叢書が刊行され、日曜学校協会から月刊「宗教教育」が刊行されるに至った。大正中期には、全国小学校教員大会でも、全国高等女学校長会でも、高等師範学校長会でも、全国師範学校長会議でも、宗教の必要性が叫ばれて、全国師範学校長会議では、宗教教育を教科のなかに取り入れることを決議した。これは道徳教育の不徹底を、宗教情操教育という形で補うということが主となっている(5)。三 渡辺海旭の教育論( 6 )次に渡辺らの教育論についてみていく。長上深雪は、仏教社会福祉の特徴は「目に見える活動の姿にではなく、実践を支える仏教精神にある(7)」と述べる。同様に、渡辺らの教育論は、教育を支える土台となるのが仏教であると論じている。以下、それぞれの教育論について述べる。渡辺らの教育論の根底にある基本的精神は、大乗仏教の精神である。