ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて157専用の機械に入れ、ゆっくりと回転させ薄皮が擦れ合いどろどろの液体となって下に溜まるジュースを原液のままや水で薄めて売っている。奥地で暮らす現地の人達は大きなタライのような器にアサイの実をいれて手で実を擦り合わせアサイのジュースを作るらしい。買ってきたアサイを器に移し砂糖をくわえてスープのようにして食べるかファリーニャというマンジョーカ芋で作った粉を混ぜて食べる。水に薄めてジュースのようにして飲む人もいる。厳しい気候風土の環境下に与えられた天の恵みといえる果物アサイに感謝である。武道館の増築工事一九八二年当時、ベレン支部武道館は表通りに面した門から入ると建物正面入口に受付、建物左脇に真直ぐ裏庭までの路地があり、路地に見学者用の椅子が並べてあった。路地から入れるワンフロアの板の間道場があり奥にはシャワールームとトイレ、部屋が二室あり一室は女中部屋でもう一室が指導員部屋である。路地を突き当たると裏庭があり巻き藁が二本たててあった。一九八三(昭和五八)年一月三〇日、日本でビザを取り直して再度着任したとき、武道館は前年暮れから増築工事が始まっており、前年一時帰国前にアパートを引き払っていた私は工事の間、武道館から少し離れた旧市街にある日本人経営の鈴木旅館に宿泊して武道館に通うようになった。鈴木旅館は長年に亘るこの地での日本人への貢献により日本政府から表彰され、感謝状がサロンに飾ってあった。この旅館には前任の車田指導員も帰国前に二か月ほど道場の増築工事のため宿泊している。部屋は六台ほどのベッドが横一列に並んだ病院のような共同部屋で、他の客も宿泊しておりプライバシーは殆ど無い。鈴木旅館では毎朝、「オ、ミラベル!」と地元新聞の名前を張り上げながら売り歩く子供の声で目が覚める。宿泊客の半分以上が日系人である。この時期の生活は、鈴木旅館から武道館へ朝稽古に行き、午前中のレッスンがある日はそのまま残り指導。昼はいったん旅館に戻り昼食後、また武道館へ戻るという日課であった。旅館では夕方、食事の準備が出来ると宿泊客が食堂に集まり大きな食卓を囲む。港町ベレンの食卓は、刺身に始まり煮魚、焼き魚、揚げ魚と魚三昧である。日本から移民として渡ってきた人が多く、特に独り身の男性が目立った。大学出たての日本の若者が珍しいのか、何かと話しかけてくれた。それぞれの人がいろいろな思いで日