ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

ページ
157/220

このページは 国士舘史研究年報第8号 の電子ブックに掲載されている157ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて155ちと養子が一人いて全員男の子である。それぞれ個性的ではあるが特に三男のLyoto は父親の血をひき格闘技の道に進み、二〇〇九(平成二一)年五月にはアメリカのUFC(アメリカ最大の総合格闘技団体)でライトヘビー級チャンピオンとなった。私のベレン在任中、Lyoto はまだ四歳で他の兄弟と一緒によく私と遊んでいたが、その頃から物怖じしないところがあり、近所の子供たちと喧嘩をしても度胸が据わっていた。二〇〇〇(平成一二)年には、アントニオ猪木にスカウトされ、新日本プロレスに所属し世界の格闘技界で活躍するようになり日本で再会したが、私の車に乗るにも体を屈めなければならない程の巨体ながら幼かったころの人なつっこい笑顔は相変わらずだった。北京オリンピック柔道金メダリストの石井慧が総合格闘技へ進み、二〇〇九年三月にLyoto Machida を頼りベレンの町田道場(旧国士舘ベレン支部武道館)で修行したことは有名な話である。熱帯での稽古一週間ほどして体も慣れたところでベレン支部武道館の空手道指導を開始した。武道館の指導体制は町田先1982 年10 月頃 軍隊将校クラブプールサイドにて(右より町田師範、筆者)