ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?152が拾う」と餞別の言葉を頂いたことが忘れられない。ベレン着任一九八二年六月一七日深夜、飛行機のタラップからベレン空港に降り立った。熱帯特有の熱気に包まれ、緑に囲まれた飛行場に大きく「BELEM」とネオンに光る文字を見た時の何ともいえない気持ちを今でも忘れることが出来ない。この後、一九九五年三月にブラジル勤務を解かれ日本へ転勤帰国するまでに日伯間を八往復し延べ一三年間のブラジル赴任生活を送ることとなった。私のベレン赴任の目的はベレン支部の前任空手道指導員が帰国することに伴う後任空手道指導員として空手道の指導に当たることであった。ベレン支部は国士舘が現地に設置したパラ国士舘大学協会(SOCIEDADEKOKUSHIKAN DAIGAKU DO PARA 一九八〇年六月三日ブラジル国認可)を実体とする組織であり、越知栄理事長、東久一理事(高拓生)、町田嘉三理事(空手道師範)の責任体制で運営管理されていた。日本からの派遣空手道指導員は山本英雄、続いて車田享一、伊井克己、飯田隆男、川口雄大と続いた。山本英雄はパラ州立空手道部同期の仲間(4 年生時)(後列左端が筆者)