ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて151うか分からない環境であったことや、全くの原始林での伐採作業の過酷さを聞くことができ、日本人移民がどれ程の苦労と努力の末に今日の隆盛を得たのかと考えさせられ心に深く残った。開拓団の生活について高拓生を引率し監督的立場にあった越知先生から直接当時のお話を聞けたことは貴重なことであった。越知先生は殆ど毎日のようにベレン支部武道館の道場に顔を出され稽古を見学することを日課とされていたが、体力の衰えからか、だんだんとお顔を拝見する機会が少なくなっていった。当時越知先生はブラジルへ渡ってきてからの歴史をまとめていると話されていたが私のベレン在任中に完成されることはなかった。私はその後サンパウロへ移り、一九九五(平成七)年にブラジルでの任務を終え日本へ帰国したため、越知先生とはベレンを離れて以来お会いすることはなかったが、その後、越知先生が亡くなられた事を知り、まさに巨星が堕ちた脱力感を覚えた。開拓者として海を渡った先輩方の歴史を留めておくことは後世に残された後輩の責務であろう。転換母校国士舘からブラジルのベレンへ行って空手道の指導をしてくれないかと相談を受けたのは大学卒業後、会社勤めを始めて間もないころであった。私は子供のころ占い師にみてもらったことがあり、将来親元を離れ外国で暮らすようになると言われたそうである。いつごろからか外国で暮らしてみたいという漠然とした願望を持っていた私は、ブラジル赴任の依頼を受け大きく心を動かされ運命のような流れを感じた。アマゾン川河口の町ベレンという、その当時の生活からはあまりにかけ離れた世界に、当初戸惑いはあったが、心の整理をつけるのにそれ程時間はかからなかった。私は一九八二年四月一日付けで国士舘に奉職した。前年には空手道部同期の大木陽悦と鈴木克彦が国士舘に奉職し後輩の指導にあたっており、私はベレンへ出発するまで渡航準備を進めながら大学の道場で稽古を続けていた。日本を出国する数日前、国士舘の海外事業を統括していた国際部の教職員の方々に大学の近くにあった「花壇」というレストランで壮行会を開いていただいた席で、当時国際部副部長だった柴田德文先生から「骨は私