ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?150郎)による一九二九(昭和四)年パラ州アカラ植民地への第一回日本人移民一八九人に始まる。ブラジル国アマゾナス州政府からの日本人移民の要請は、当時衆議院議員であり国士舘理事であった上塚司(ブラジル移民の父といわれた上塚周平の従弟) が中心となり、一九三〇(昭和五)年四月、アマゾン開拓の指導者養成を目的とした国士舘高等拓植学校の設立へとつながった。その後、国士舘内部で発生した意見対立により上塚は国士舘から離れ、新たに日本高等拓植学校(昭和七年五月三一日認可)を登戸に設立した。国士舘高等拓植学校は一九三四年(昭和九)一一月一日に廃止され、国士舘によるアマゾンへの開拓指導者派遣事業は一九三二年(昭和七)年四月一六日に同校二回目の卒業生(高拓生)をアマゾンへ送り出したのを最後に幕を閉じた。五〇年後の一九七九(昭和五四)年一一月五日、アマゾン日本人移住五〇周年記念祭に慶祝使節団を送った国士舘は、同記念祭での高拓生との再会を機に日伯の武道・スポーツ・文化交流を目的とした支部の設置を決めた。一九八〇(昭和五五)年七月、国士舘大学はパラ州立大学、サンパウロ州立大学(以後USPと呼ぶ)との間でそれぞれ武道スポーツ教育交流協定を締結し、その年の九月には国士舘大学からの派遣教官山本英雄がベレン支部とパラ州立大学で空手道の指導を開始している。時を同じくしてサンパウロでもUSP等で剣道と柔道の指導が開始されている。高拓生私の学生時代、アマゾン開拓に関しては多くの本が出版されており開拓の苦労が筆舌に尽くしがたいものであったことは承知していた。ベレン支部責任者の越知栄先生は、国士舘専門学校の前身である国士舘高等部の卒業生で国士舘高等拓植学校第一回卒業生(高拓生)の引率監督者として一九三一(昭和六)年五月二〇日神戸港を出航し、アマゾンに渡った国士舘の大先輩であった。アマゾン日本人開拓五〇周年祭で国士舘が高拓生と再会した事を機にベレン支部の責任者を越知先生にお願いすることとなったのである。ある日、越知先生のご自宅に夕食の招待を受けた時、アマゾンに渡って間もないころのお話をされたことがあった。入植当時、その自然環境の厳しさから作物が根付き成長することの心配よりも人間が生きて行けるかど