ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士、海を渡りて149「国士、海を渡りて五〇年、志し半ばにしてブラジルの赤土と化す」学生時代に聞いたブラジルへ開拓に渡った日本人の言葉である。国士舘大学入学後、空手道部に所属していた私は、先輩方が卒業後ブラジルのパラ州ベレン市にあった国士舘ベレン支部へ空手道指導員として赴任していく姿を他人事のように見ていた。数年後の一九八二(昭和五七)年六月、母校国士舘から業務命令を受け地球の裏側の国ブラジルへ赴任することになるとは当時夢想だにしていなかった。国士舘とブラジル日本とブラジルは一八九五(明治二八)年に「日伯修好通商航海条約」を締結、国交を結び、奴隷制を廃止(一八八八年)し新たな労働力を移民に求めていたブラジルと、日露戦争(一九〇四年~一九〇五年)後の不況による失業者の増大などから国外への移民政策を積極的に進めたい日本との間で移民の送出が始まった。排日運動が吹き荒れる北米・カナダへの移住が期待出来ないなか、ブラジルへ希望をつなぎ一九〇八(明治四一)年四月二八日、最初のブラジルへの日本人移民をのせた「笠戸丸」が神戸港を出航した。アマゾンへの日本人移住は鐘紡の出資により設立した南米拓植会社(社長:福原八法学部一一期生 伊井 克己国士、海を渡りて  ―国士舘ブラジル支部の回想―国士舘の思い出