ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?142別れる最後の夜は、全員私のところ来てサインや名刺を下さいと言ってきた。年賀状を出しますからとか、東京に行った時には必ず連絡しますから会ってくださいとか言って、全員が来てくれたので感激してしまった。願わくば将来この少年達の中から、大選手が一人でも出てほしいと思いながら別れを惜しんだ。八月一一日いよいよ少年達と分かれる日が来た。何となく私も寂しくなった。たった十数日間であったが一年くらい野球指導をしていたような気がしていた。サンパウロ・コンゴーニャス空港で少年達最後の「コーチさようなら????」の声で私は涙がどっと溢れてしまった。私も当時「少年軟式野球国際交流協会」の指導方針に共鳴した一人であり、大学職員として微力を尽くしたのではないかと思っている。サンパウロ州サン・ロケ国士舘大学協会サンパウロ分校にて八月一四日からは、柴田梵天総長を団長とする国士舘大学ブラジル第五次訪問団とともに行動したが、訪問団最後の予定が終了した席で、柴田総長から新たな業務指示があり、私と柴田小次郎顧問は訪問団と別れることになった。アマゾン上流のマナウスから八月三〇日、サン少年野球使節団の少年達と筆者