ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

硬式野球部OB職員として139に着いたが、少年野球使節団一行が搭乗した飛行機が二時間遅れたため、空港で長い時間待つことになってしまいタクシーの中で冷や汗が出る焦りは何だったか、出迎えの日伯野球連盟関係者も待ちくたびれてしまっていた。しかし江藤団長を先頭に少年達が空港のゲートから顔を見せると歓声を上げて走り寄り、お互いしっかりと手を握り合っていた。歓迎夕食会では、少年達は食欲旺盛で元気な姿を見せ旅の疲れなどどこ吹く風の様子、ホテルのロビーなどでふざけたり走り回ったりしていたが、団長と小沢コーチの消灯の声で全員あっという間に寝てしまった。元気で素直な良い少年達であった。少年野球国際交流協会は、一九七七(昭和五二年)年に設立している。青少年野球の育成に努力し、特に少年野球は勝つことよりも精神面を重視し、チームワーク・忍耐力などを養うことを指導方針として、国内でも全国各地を巡回して野球教室を開き、心身及び技量の向上を図っている。現在は「少年軟式野球国際交流協会」となり、一九八二(昭和五七)年に笹川良一、佐川清両氏らの支援を得て、文科省の認可を受け社団法人として受け継いでいる。今回の使節団は、一〇歳から一二歳までの熊本県出身学童を中心に編成されており、他に埼玉県から二人、東京都から一人が参加し選手は一五名であり、同行者は団長の江藤慎一氏と熊本商業高校時代の同期で九州電力株式会社野球部監督の藤井正氏 、W・B・B・A専属コーチの小沢良亮氏、名誉副団長の深水慎一氏、総務局長の植田三四吉氏、母の会代表の江藤トヨ女史(江藤氏の母)そして私の総勢二二名である。七月三一日、休む間もなく早速練習を開始した。私も少年達とは初めての野球練習である。集合した子供達の目はキラキラと澄んでいた。この時期に正しい本当の教育をし、人造りをしなければと強く感じたのを今でも覚えている。そして、このブラジル国内遠征試合の一三日間は少年達に全力でぶつかって、少しでもよい思い出となるような野球が出来ることを願った。一方、ブラジル野球関係者及び少年達は、スタンドで日本の少年達がどの様な練習をするのかじっと見つめ、日本野球を吸収しようと練習が終わるまで立ち上がる者はいなかった。当時ブラジルの少年野球では、プレーするのはほとんどが日系人であり、しかも学校単位のチームでは無く、各市町村で野球が好きな少年が集まりクラブ形式で野球チームをつくっていた。少年の部は年齢により三チームに分かれており、七歳~九歳までと、一〇歳から一二歳ま