ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?138一九八一年七月二八日、少年野球使節団より先にサンパウロに向け、成田空港を出発した。一人旅の気楽さと不安と寂しさが入り混じっての空の旅だったが、隣り合わせた日系人男性や窓側のブラジル女性と、すぐ話が弾みサンパウロ・カンピーナスヴィラコッポス国際空港まで楽しい空の旅が出来、思いがけない旅の出会いを楽しんではいたが、私はポルトガル語が話せなかったので、隣の日系人男性が窓側の女性との通訳をして頂いて助かったことを覚えている。長い長い空の旅も終り、いよいよブラジルである。空から初めて見るブラジルは緑色のジャングル、乾ききった赤色の土、赤色の屋根瓦でそれぞれのコントラストがとても暑さを感じさせた。そして上空から見る広大なブラジルの領土は、さすが日本領土の二三倍もある領土感を改めて深くした。ブラジルの気候は冬であったが内陸性気候のため日中はかなり温度が上がり半袖姿の人が多く見受けられた。翌日、少年野球使節団のサンパウロ到着を迎えるため、コンゴーニャス空港に向かったがサンパウロも車が多く、ちょうど午後六時半ごろの帰宅ラッシュにかかり、普通二〇分くらいの行程を一時間三〇分もかかってしまい焦り、冷や汗をかいていた。やっとのことで空港空港でサンパウロの少年野球チームの歓迎を受ける使節団