ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

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概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?122られない貴重な体験であった。人間の身体構造や臓器の種類と各々の役割を学び、健康な身体・生命の尊厳・生きることの意味など、様々なことを考えさせられた実習であった。五、バスケットボール部員として私の場合、大学入学イコール寮生活は、しごく当然のことと思い、松陰寮に入寮し学生生活が始まった。同学年の部員も半数の一六名が入寮したが、一年間持たずに出て行った者や二年時に出て行った者もいて、四年間入寮していたのは、私を含め、たったの二名となっていた。百人の部員でレギュラーの一軍( A )、次の二軍(B)、そして、残りの三軍(C)という構成であった。一年生は毎日グラウンドや駒沢公園へのランニングが基本であった。Aチームの練習のために体育館の雑巾掛けやタオル・飲み物の準備、そして、練習後の片付けと雑巾掛けであった。二年になり後輩ができると基本的なことの指導や先輩からのきつい指摘も自分たちの責任となり、幾度となく叱りつけられた。秋からは二軍に昇格し、練習試合でも活躍できるようになった。三年になり一軍に昇格したが、なかなか思うようには活躍できなかった。ただ降格しないように必死になって毎日の練習に励んだ。当時のバスケットボールの聖地であり、憧れであった代々木第二体育館での試合は今でも心に強く残っている。いよいよ四年生。前年度にチームが関東二部Bに降格したため、夏の二次合宿もコーチを筆頭に、「二部A昇格」を合い言葉に頑張った。同級生や後輩の頑張りで、リーグ優勝し、二部Aに昇格すると共に、関東一〇位でインカレ出場も果たすことができた。一〇月から後期に入り、卒業まで半年となった。最後に残っている「卒業論文」が大きな山(課題)となっていた。石田啓教授のゼミだったので、四人の仲間で「バスケットボールの攻防」についての論文に決めた。インカレ(全日本大学選手権)の出場を目指していたものの、①国士舘大学の試合はどのような攻撃であるか? ②どのようなシュートが多いのか? ③誰が、どのようなポジションでシュートして成功したか、失敗したか?等、記録を取り分析して、バスケットボールの攻防を追求しようと考えた。しかし、計画を立てていく内に、様々な記録を集積し