ブックタイトル国士舘史研究年報第8号

ページ
122/220

このページは 国士舘史研究年報第8号 の電子ブックに掲載されている122ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play
  • Available on the Windows Store

概要

国士舘史研究年報第8号

国士舘史研究年報2016 楓?120「学生監」という、いわば学級担任のような立場の先生方が講義の初めに出席カードを集め、学生達の出席状況を把握していた。各学年の実習も貴重な体験であった。一年時には千葉県富津での水泳実習、二年時には河口湖でのスケート実習、三年時には菅平でのスキー実習を行った。スキーは、雪の降らない静岡の人間にとっては、未経験であったが楽しく学ぶ事ができた。昭和五〇年ごろは、まだ車でスキーに行くことなど一般的ではなかった時代である。最上級生となった四年時には、母校での四週間の「教育実習」が始まった。中学卒業以来、七年ぶりの母校は懐かしかったが、見習い教師としての立場はまったく違い、毎日が緊張の連続であった。教師に憧れ、教師になることを夢見ていた時とは違い、一日のすべての活動は「学校・生徒を第一に!」と考えなければならなかった。諸先生方から小さな事でも指導を受け、大人としての責任感とは何かを思い知らされた実習であった。一時間の授業のために徹夜して仕上げた「指導案」も日を追うごとに慣れてきたと思ったが、毎日手直しをされ、夜中に修正し、翌朝印刷して、指導教官に提出した。一時間の授業が終わると同時に、次の指導案作りの繰り返しであったが、四週間の教育実習も何とか無事終えることができた。最終日には、指導教官の先生のクラスで送別会を開いてもらい感激し、教職への志を一層強く抱いて教育実習を終えた。全国各地に分かれて教育実習を行ってきた同級生と共に、大講堂にて学部長の先生方に体育学部三六七名を代表して報告したことも良き経験となった。後期には東京医科歯科大学での解剖実験の実習も忘れ解剖生理学でのスケッチ(筆者画)