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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?22はならない。それは勤勉な国民であると言ふ事で、実に我々を好く理解されてゐる事が嬉しかった。亦秩序の必要性を話され、今、日本は困難な時で我々がその前途に迷ってゐる事を中佐殿が知ってをられる事は不思議に思った。実に立派な温厚な紳士で巷に横行してゐる米国人と雲泥の差がある。最後に理想を持って現実にぶつかると言ふ事は自分の日頃から考へる所で更に意を強くした次第である。一、言葉の通ぜざる為世界に知己を失ふ事を恐る。一日も早く世界が相互に理解しあって、共に愉快に生活出来る様になる事を祈ると共にニューゼント中佐殿の多幸を祈る。まず、最初の一つ書きでは、鮎澤校長のお陰でニューゼントとの再会が果たせたこと。「亦一年後ニューゼント中佐殿と御面接の約束及び日記を附けて報告をする約束」をしたことが記されている。二つ目の一つ書きには、ニューゼントの挨拶とそれを聞いた小野の心情が綴られている。すなわち、日本人は勤勉な国民であり、そうした良いところを忘れてはならないこと。そして、それを実によく理解されていること。また、秩序が混乱して日本国民が前途に迷っていることを承知していたことに驚いたとしている。ところで、そのニューゼントとは如何なる人物なのであろうか。彼がCIEで果たした役割はどのようなものであったのであろうか。本稿の主旨とは、ずれるようでもあるが、ここで紹介することにしたい。第二代CIE局長、ニューゼント陸軍中佐(Lt. colonel,Donold Ross Nugent, USMC)は、スタンフォード大学卒業、カリフォルニアの地区教育長、中等学校教師を経て、一九三七(昭和一二)年から一九四一(昭和一六)年まで、大阪商大、和歌山高商講師を歴任、一九四一年、海兵隊に召集、真珠湾から硫黄島まで従軍した。一九四五年一一月来日、一二月一〇日、ヘンダーソン(Harold Gould Henderson)の跡を継いで、CIE 教育課長となり、五月下旬、ダイク(Ken ReadDyke)代将のあと、CIE局長となり、占領終了時まで在任した。鈴木英一氏によれば、「長期間在任したのは、本国に重要な教育職を確保できなかったためであると言われている。彼は、日本語について会話・読み書きともにできたが、占領期は、日本人の前で英語しか話さなかった。