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概要

国士舘史研究年報第7号

国士舘史研究年報2015 楓?20出せるか。経験のないものは憐である。とあり、その場の雰囲気やそれに対する小野の気持ちもよく伝わってくる。また、仕事の合間をぬって国士舘へも時折顔を出している。「日記」一九四七年一二月一四日には、「本日初の国士舘同人会を行ふ。参集者十五名。会の名前を永友会と名附く。重に卒業生の力に依つて、学校を維持、発展さす準備打合の下工作」とあり、さらに、同月二一日には、「国士舘に行き、学校の将来と永友会の趣旨を話す。柴田梵天先生大いに喜ぶ」とある。すなわち、同窓会を発足すべく動いている。ところで、小野が何の教科を担当していたかについては、二学期の終業式が行われた一九四七年一二月二四日の記事の中に「国語の点が大部分可であつた事は生徒に申訳がない」とあり、国語を担当していたようである。年も明け、教師としての最初の年度も終わりに近づいていく。一九四八年三月三日には、雛祭と卒業生の送別会が開かれた。そして、同月一〇日には、「母にお金を持つて行く為に、十二時半頃三楽に行つた。その足で直ぐ山崎中学校の谷野校長に面接し、転任就職を受諾した」とあり、転任が決定した。すなわち、翌年度も教師を続ける運びとなった。一九四八年三月二〇日には卒業式、翌二一日には三学期の終業式が行われている。終業式では「生徒に最後の決別を兼ねて、将来進むべき方向を示して、今後困る事があつたら何時でも手紙を出す様に、その時は相談に乗つてやる旨を約す。亦、玉置と柳瀬二嬢に対しては、更に「読書」「体験」「反省」の必要を説く」として、自らが国士舘で学んだ「読書」「体験」「反省」の三綱領を教育の場で活かしている。翌二四日には「二年C組の女生徒十三名が私の謝恩会を開いて呉れた」とあり、終わり良き教員一年目であった。五 CIE(民間情報教育局)  局長ニューゼントとの出会い国士舘では、一九四五年一二月二〇日、法人名改称と寄附行為改正を申請し、校名を至徳学園に改称した。そして、同日には、CIE局長代理ニューゼント、青年部長ダーキンなどの立会のもと、大講堂内に学生・生徒を集めて国士舘専門学校校長交代式(柴田德次郎から鮎澤巌へ)が執り行われたと言われてきた。しかしながら、実のところ、ニューゼントらが国士舘を訪れた件については、はっきりしないところがあっ